官立期とは? わかりやすく解説

官立(国立)期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 04:44 UTC 版)

愛知第二師範学校」の記事における「官立国立)期」の解説

1943年昭和18年4月1日 - 愛知県岡崎師範学校を、国立官立移管の上、「愛知第二師範学校」(男子部)とする。本科3年制中等学校対象)・予科3年制高等小学校対象) を設置1945年昭和20年7月 - 岡崎空襲校舎焼失終戦後豊川市野口町の「海軍工廠第8工員寄宿舎」を仮校舎として移転する1946年昭和21年4月 - 豊川市立八南国学校代用附属国民学校指定する1947年昭和22年4月 - 学制改革により予科募集停止附属国民学校初等科改組附属小学校を、附属国民学校高等科改組附属中学校新制中学校) を設置1949年昭和24年5月31日 - 新制愛知学芸大学 学芸学部」が発足愛知第二師範学校内に愛知学芸大学豊川分校設置される愛知第二師範学校愛知学芸大学包括され、「愛知学芸大学愛知第二師範学校」の校名在籍生徒卒業するまで存続されることになる。師範学校としての生徒募集停止。 この時の入学生は愛知学芸大学学芸学部第1回生となる。 1950年昭和25年4月 - 愛知第二師範岡崎市復帰愛知学芸大豊川分校移転して岡崎分校改められ、後に本部置かれる1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し愛知第二師範学校旧制)が廃止される

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官立期(1943年 - 1951年)

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北海道第一師範学校」の記事における「官立期(1943年 - 1951年)」の解説

1943年昭和18年4月 - 師範教育令改正される札幌師範学校女子師範学校の2校が統合の上官立国立移管により「北海道第一師範学校」(男子部女子部)となる。本科3年予科2年専門学校となる。 1944年昭和19年8月 - 学徒勤労令の公布により、学校報国隊が組織され勤労動員が行われる。 1945年昭和20年4月 - 決戦教育措置要綱により1年間授業停止し本土防衛生産増強挺身8月 - 敗戦戦争終結1947年昭和22年4月 - 学制改革六・三制実施が行われる。附属国民学校初等科改組し、附属小学校とする。(北海道第一師範学校男子部附属小学校附属国民学校高等科改組し、附属中学校新制中学校)とする。(北海道第一師範学校男子部附属中学校1949年昭和24年5月31日 - 新制大学北海道学芸大学」が発足し学芸学部母体として包括され北海道学芸大学北海道第一師範学校」となる。師範学校生徒募集停止し、この時の入学生から北海道学芸大学 学芸学部所属となる。 師範学校時代入学生が卒業するまで師範学校存続されることとなる。 北海道学芸大学札幌分校併設される。 1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し北海道第一師範学校廃止される

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官立(国立)期

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香川師範学校」の記事における「官立国立)期」の解説

香川師範学校 1943年昭和18年4月1日 - 香川県師範学校香川県女子師範学校の2校が統合の上官立移管され「香川師範学校」が設置される。旧香川県師範学校校舎を「男子部」、旧香川県女子師範学校校舎を「女子部」とする。 本科3年制中等学校対象)と予科高等小学校対象) を設置10月31日 - 開校記念式挙行1944年昭和19年5月 - 現職教員の再研修機関として研究科設置修業期間10週とする。 1945年昭和20年7月4日 - 高松空襲男子部と同附属国民学校校舎全焼8月 - 男子部綾歌郡山内村国民学校愛育園内移転12月 - 男子部予科女子部校舎坂出)で授業開始1946年昭和21年1月 - 男子部坂出市西庄野田農機具工場附属青年学校校舎移転4月 - 男子部丸亀市の旧歩兵第12連隊跡に移転1947年昭和22年1月 - 男女であった師範学校同窓会統合4月1日 - 学制改革六・三制実施男子部女子部それぞれの附属国民学校初等科(6ヶ年)を改組し、附属小学校とする。男子部附属小学校は現・附属高松小学校女子部附属小学校は現・附属坂出小学校男子部女子部それぞれの附属国民学校高等科(2ヶ年)を改組の上新制附属中学校(3ヶ年)とし、附属小学校併設男子部附属中学校は現・附属高松中学校女子部附属中学校は現・附属坂出中学校1948年昭和23年2月 - 男子部高松旧校地に復帰1949年昭和24年5月31日 - 新制香川大学発足したことにより、師範学校学芸学部母体として包括され、「香川大学香川師範学校」となる。旧・男子部学芸学部本校、旧・女子部坂出分校設置される師範学校としての生徒募集停止され在校生卒業するまで師範学校存続されることとなる。 1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し香川大学香川師範学校廃止される。完全に香川大学学芸学部移行する廃止1954年昭和29年3月31日 - 旧・女子部設置されていた香川大学学芸学部坂出分校廃止される附属幼稚園小学校および中学校存続

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官立(国立)期

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山口師範学校」の記事における「官立国立)期」の解説

山口師範学校 1943年昭和18年4月1日 - 山口県師範学校山口県女子師範学校統合官立国立移管の上、「官立山口師範学校」を設置。旧・山口県師範学校校舎山口市)を「男子部」、旧・山口県女子師範学校校舎光市)を「女子部」とする。 1947年昭和22年4月1日 - 学制改革六・三制実施附属国民学校初等科附属小学校に復称。 附属国民学校高等科改編し、附属中学校新制中学校)を設置1949年昭和24年5月31日 - 「新制山口大学」が発足山口師範学校山口青年師範学校と共に教育学部母体として包括され最後在学生卒業するまで「山口大学山口師範学校」の形で存続女子部校舎光分校となる。 (1957年昭和32年3月廃止1951年昭和26年3月31日 - 山口師範学校廃止される附属小学校中学校教育学部移管

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官立期(1943年 - 1951年)

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北海道第二師範学校」の記事における「官立期(1943年 - 1951年)」の解説

1943年昭和18年4月 - 師範教育令改正される官立国立移管により「北海道第二師範学校」(男子部のみ)となる。本科3年予科2年専門学校となる。 1944年昭和19年8月 - 学徒勤労令の公布により、学校報国隊が組織され勤労動員が行われる。 9月 - 北海道第二師範学校第1回卒業式挙行し、64名が卒業1945年昭和20年4月 - 決戦教育措置要綱により1年間授業停止し本土防衛生産増強挺身全寮制廃止8月 - 敗戦戦争終結1946年昭和21年6月 - 谷地頭国民学校校舎女子部設置1947年昭和22年4月 - 学制改革六・三制実施が行われる。附属国民学校初等科改組し、附属小学校とする。(北海道第二師範学校附属小学校附属国民学校高等科改組し、附属中学校新制中学校)とする。(北海道第二師範学校附属中学校1949年昭和24年5月31日 - 新制大学北海道学芸大学」が発足し学芸学部母体として包括され北海道学芸大学北海道第二師範学校」となる。師範学校生徒募集停止し、この時の入学生から北海道学芸大学 学芸学部所属となる。 師範学校時代入学生が卒業するまで師範学校存続されることとなる。 北海道学芸大学函館分校併設される。 1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し北海道第二師範学校廃止される

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官立(国立)期

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岡山師範学校」の記事における「官立国立)期」の解説

岡山師範学校 1943年昭和18年4月1日 - 岡山県師範学校岡山県女子師範学校の2校が統合の上官立国立)「岡山師範学校」が設置される。旧・岡山県師範学校校舎に「男子部」、旧・岡山県女子師範学校校舎に「女子部」を設置。(校舎による男女別学継続本科3年制中等学校対象)・予科高等小学校対象) を設置6月1日 - 男子部女子部合同開校記念式挙行1945年昭和20年6月29日 - 岡山大空襲男子部女子部とも校舎大半焼失7月 - 女子部赤磐郡佐伯村現・和気郡和気町青年学校疎開9月 - 男子部焼け残り鉄筋校舎授業再開1946年昭和21年2月 - 女子部岡山市海岸通倉敷絹織岡山工場移転10月 - 女子部児島郡福田村 (現・倉敷市水島) の三菱地所三棟寮に仮移転1947年昭和22年4月1日 - 学制改革六・三制実施)旧・男子部附属国民学校初等科改組し、男子部附属小学校とする。旧女子部附属国民学校児童のうち岡山市在住者収容。 旧・男子部附属国民学校高等科改組し、新制附属中学校設置。 旧・女子部附属国民学校初等科改組し、女子部附属小学校とし、児島郡福田村第四小学校(現・倉敷市第四福田小学校)に併設1948年昭和23年4月 - 女子部福田村第四小学校との併設解消し男子部校地統合移転1949年昭和24年4月 - 女子部附属小学校男子部附属小学校統合される5月31日 - 新制岡山大学」の発足に伴い岡山青年師範学校とともに教育学部母体として包括され岡山大学岡山師範学校」となる。師範学校としての生徒募集停止となる。旧制時代入学した生徒のために師範学校存続される。 1951年昭和26年3月 - 旧制時代入学した生徒卒業とともに岡山師範学校廃止される附属幼稚園小学校中学校岡山大学教育学部附属となる。

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官立(国立)期

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鹿児島師範学校」の記事における「官立国立)期」の解説

鹿児島師範学校 1943年昭和18年3月 - 鹿児島県師範学校鹿児島県女子師範学校の2校が統合の上、国に移管され、官立国立)「鹿児島師範学校」が設置される専門学校昇格した。 旧・鹿児島県師範学校を「男子部」、旧・鹿児島県女子師範学校を「女子部」とする。 本科3年制中等学校卒業者予科修了者対象)、予科戦時措置2年制国民学校高等科卒業者対象)。 附属学校鹿児島師範学校男子部附属国民学校 鹿児島師範学校女子部附属国民学校鹿児島師範学校女子部附属幼稚園 1945年昭和20年6月 - 鹿児島大空襲男子部女子部ともに校舎焼失1946年昭和21年2月 - 予科3年制となる。 4月 - 男子部鹿屋市女子部肝属郡吾平町移転1947年昭和22年4月 - 学制改革六・三制実施が行われる。附属国民学校初等科改組し、附属小学校とする。(男子部附属小学校女子部附属小学校附属国民学校高等科改組し、附属中学校新制中学校)とする。(男子部附属中学校女子部附属中学校5月 - 鹿児島郡伊敷村大字下伊敷(現・鹿児島市下伊敷)の旧・西部第18部隊跡(現・鹿児島県立短期大学敷地一部)に移転1948年昭和23年4月 - 男子部女子部区別廃止され、2校ずつあった附属小学校附属中学校統合しそれぞれ1校とする。 1949年昭和24年5月31日 - 新制鹿児島大学包括され、「鹿児島大学鹿児島師範学校」と改称師範学校としての募集停止され在校生卒業するまでの間存続されることとなる。 鹿児島青年師範学校1944年昭和19年設置とともに鹿児島大学教育学部母体となった1951年昭和26年3月31日 - 廃止附属学校幼稚園・小学校・中学校)が鹿児島大学教育学部移管される。

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官立期 (1943年 - 1951年)

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大阪第二師範学校」の記事における「官立期 (1943年 - 1951年)」の解説

1943年昭和18年4月 - 師範教育令改正される官立国立移管により、「大阪第二師範学校」(男子部)となる。本科3年予科2年専門学校となる。 1944年昭和19年1月 - 女子部生徒募集本科180名・予科40名)を開始4月 - 女子部南河内郡富田林町大字毛人谷の元大阪府富田林高等女学校跡に開設8月 - 学徒勤労令の公布により、学校報国隊が組織され勤労動員が行われる。 1945年昭和20年4月 - 決戦教育措置要綱により1年間授業停止し本土防衛生産増強挺身5月 - 戦時教育令公布により、学徒隊組織され本土決戦備える。 8月 - 敗戦戦争終結1946年昭和21年5月 - 1ヶ月遅れで入学式挙行1947年昭和22年4月 - 学制改革六・三制実施が行われる。附属国民学校初等科改組し、附属小学校とする。(大阪第二師範学校附属小学校附属国民学校高等科改組し、附属中学校新制中学校)とする。(大阪第二師範学校附属中学校1949年昭和24年5月31日 - 新制大学大阪学芸大学」が発足し学芸学部母体として包括され大阪学芸大学大阪第二師範学校」となる。師範学校生徒募集停止し、この時の入学生から大阪学芸大学 学芸学部所属となる。 師範学校時代入学生が卒業するまで師範学校存続されることとなる。 男子部池田分校設置されるそれぞれに学芸学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程)が設置される大阪第一師範学校長の北川久五郎初代学長就任7月 - 新入生574名を迎え第1回大阪学芸大学入学式挙行される。 1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し大阪第二師範学校および富田林分教場女子部教場)が廃止される

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