官立広島女高師設立以降とは? わかりやすく解説

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官立広島女高師設立以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:01 UTC 版)

広島女子高等師範学校」の記事における「官立広島女高師設立以降」の解説

山中高女からの寄付官立移管)の申し出受けて文部省広島第3官立女子高等師範学校設置する予算案作成し1944年12月には広島女子高等師範学校設置申請閣議受理された。翌1945年3月末には財団法人山中高等女学校から校地・校舎が国に寄附されたことで同法人は解散し、(私立山中高等女学校廃止された。 同年4月1日にはこれに代えて広島女子高等師範学校設立され戦時下中等理科教員育成政策に基づき理科家政科体育科設置された。そして従来山中高女職員生徒は「広島女子高等師範学校附属山中高等女学校」に移行した広島女高師入学式7月21日挙行され全国から集まった81名が入学した女高師の初授業翌月8月6日予定されていたが、この日の原爆により、校舎全壊焼失し登校していた生徒教職員のなかから犠牲者出た。また当日市内での建物疎開作業当たっていた山中高女生徒のほとんど全員被爆により全滅した後出)。このため9月から12月にかけて女高師山中高女郊外疎開移転し最終的に広島県賀茂郡安浦町統合移転した(後出)。 1949年5月31日国立学校設置法公布広島大学発足すると、女高師山中高女同大学に包括され広島大学広島女子高等師範学校(および同附属山中高等女学校)と改称し教育学部安浦分校(のち同福山分校)の構成母体となった1951年3月には附属山中高女廃止次いで1952年3月には女高師最後4期)の卒業式挙行され広島女高師廃止された。

※この「官立広島女高師設立以降」の解説は、「広島女子高等師範学校」の解説の一部です。
「官立広島女高師設立以降」を含む「広島女子高等師範学校」の記事については、「広島女子高等師範学校」の概要を参照ください。

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