官立広島女高師設立以降
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「広島女子高等師範学校」の記事における「官立広島女高師設立以降」の解説
山中高女からの寄付(官立移管)の申し出を受けて文部省は広島に第3の官立女子高等師範学校を設置する予算案を作成し、1944年12月には広島女子高等師範学校の設置申請が閣議で受理された。翌1945年3月末には財団法人山中高等女学校から校地・校舎が国に寄附されたことで同法人は解散し、(私立)山中高等女学校は廃止された。 同年4月1日にはこれに代えて広島女子高等師範学校が設立され、戦時下の中等理科教員育成政策に基づき理科・家政科・体育科が設置された。そして従来の山中高女の職員・生徒は「広島女子高等師範学校附属山中高等女学校」に移行した。広島女高師の入学式は7月21日に挙行され、全国から集まった81名が入学した。女高師の初授業は翌月の8月6日に予定されていたが、この日の原爆により、校舎は全壊・焼失し、登校していた生徒・教職員のなかから犠牲者が出た。また当日市内での建物疎開作業に当たっていた山中高女生徒のほとんど全員が被爆により全滅した(後出)。このため9月から12月にかけて女高師・山中高女は郊外に疎開・移転し、最終的には広島県賀茂郡安浦町に統合移転した(後出)。 1949年5月31日、国立学校設置法公布で広島大学が発足すると、女高師・山中高女は同大学に包括され広島大学広島女子高等師範学校(および同附属山中高等女学校)と改称し、教育学部安浦分校(のち同福山分校)の構成母体となった。1951年3月には附属山中高女が廃止、次いで1952年3月には女高師最後(4期)の卒業式が挙行され、広島女高師は廃止された。
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