官立単独期とは? わかりやすく解説

官立単独期 (1943年 - 1951年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 20:15 UTC 版)

愛知第一師範学校」の記事における「官立単独期 (1943年 - 1951年)」の解説

1943年昭和18年4月1日 - 愛知県第一師範学校愛知県女子師範学校統合され、(官立)「愛知第一師範学校」(男子部女子部)を設置本科3年制中等学校対象)・予科3年制国民学校高等科高等小学校〕卒対象) を設置。 (「愛知第一師範学校」・「愛知第二師範学校」の2校体制1947年昭和22年4月 - 男子部女子部それぞれに附属中学校新制) を開設予科募集停止1949年昭和24年5月31日 - 新制愛知学芸大学学芸学部」が発足愛知学芸大学への包括で、「愛知学芸大学愛知第一師範学校」となり、在籍生徒卒業するまで師範学校存続されるが、師範学校としての生徒募集停止する愛知第一師範学校校地には、愛知学芸大学名古屋分校設置され、この時の入学生が愛知学芸大学第1回生となる。 1951年昭和26年3月 - 最後卒業生送り出し愛知第一師範学校旧制)が廃止されるこの年 - 名古屋分校大幸町(現・附属名古屋小学校附属名古屋中学校附属幼稚園)に移転完了移転後跡地名古屋市立工芸高等学校となっている。

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官立単独期 (1943年 - 1951年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 11:23 UTC 版)

大阪第一師範学校」の記事における「官立単独期 (1943年 - 1951年)」の解説

1943年昭和18年4月 - 師範教育令改正される官立国立移管により、天王寺師範学校女子師範学校統合の上、「大阪第一師範学校」(男子部女子部)となる。本科3年予科2年専門学校となる。 1944年昭和19年8月 - 学徒勤労令の公布により、学校報国隊が組織され勤労動員が行われる. 9月 - 附属国民学校初等科3年から6年までの107名の児童南河内郡東条村の「若楠寮」を分教場として集団疎開1945年昭和20年4月 - 決戦教育措置要綱により1年間授業停止し本土防衛生産増強挺身5月 - 戦時教育令公布により、学徒隊組織され本土決戦備える。 7月 - 男子部附属国民学校高等科生徒泉北郡信太村神州塾に宿泊し、同郡和泉町森田航空株式会社勤労動員8月 - 敗戦戦争終結1947年昭和22年4月 - 学制改革六・三制実施が行われる。附属国民学校初等科改組し、附属小学校とする。(大阪第一師範学校男子部附属小学校大阪第一師範学校女子部附属小学校附属国民学校高等科改組し、附属中学校新制中学校)とする。(大阪第一師範学校男子部附属中学校大阪第一師範学校女子部附属中学校1949年昭和24年5月31日 - 新制大学大阪学芸大学」が発足し学芸学部母体として包括され大阪学芸大学大阪第一師範学校」となる。師範学校生徒募集停止し、この時の入学生から大阪学芸大学 学芸学部所属となる。 師範学校時代入学生が卒業するまで師範学校存続されることとなる。 男子部には天王寺分校女子部には平野分校設置されるそれぞれに学芸学部小学校教員養成課程中学校教員養成課程)が設置される大阪第一師範学校長の北川久五郎初代学長就任7月 - 新入生574名を迎え第1回大阪学芸大学入学式挙行11月 - 天王寺分校講堂開学記念式挙行1950年昭和25年4月 - 聾学校教員養成2年課程平野分校設置されるこの年 - 学芸研修する課程2年4年)が設置される1951年昭和26年3月31日 - 最後卒業生送り出し大阪第一師範学校廃止される

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官立単独期 (1943年~1951年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 10:13 UTC 版)

長崎師範学校」の記事における「官立単独期 (1943年1951年)」の解説

1943年昭和18年4月1日 - 長崎県師範学校長崎県女子師範学校統合し、(官立)「長崎師範学校」を設置。旧長崎県師範学校校舎長崎西浦上)に男子部、旧長崎県女子師範学校校舎大村久原)に女子部設置本科3年制中等学校対象)・予科3年制高等小学校対象) を設置1945年昭和20年4月26日 - 長崎駅被弾学生部長が爆死7月29日 - 男子部本館直撃被弾内部大破8月9日 - 男子部校舎原子爆弾投下により壊滅生徒54死亡本科37名・予科17名)。桜馬場にあった男子部附属小学校閉鎖9月 - 代用附属西浦上小学校廃止10月 - 師範学校本部女子部のある大村市移転男子部大村市の第21海軍航空廠 (空廠) 附設工員養成所移転。但し、間もなく長崎工業学校に譲る。 10月14日 - 男子部、乾馬場郷の西部147部隊旧陸軍歩兵第46連隊) 跡に移転10月21日 - 男子部アメリカ軍から24時間以内退去命じられ、空廠植松工員寄宿舎移転授業再開1946年昭和21年2月 - 男子部、空廠郡川工員宿舎小路宿舎) に師範学校本部と共に移転12月 - 男子部、乾馬場西部147部隊跡に再移転アメリカ軍退去したため)。 1947年昭和22年4月 - 男子部女子部それぞれに附属中学校新制) を開設1949年昭和24年5月31日 - 新制長崎大学学芸学部」が発足男子部校地学芸学部教育部女子部校地学芸学部教養部設置長崎師範学校長崎大学包括され在籍生徒卒業するまで存続されることとなる。師範学校としての生徒募集停止される。 この時の入学生は長崎大学学芸学部第1回生となる。 1950年昭和25年5月 - 学芸学部教養部長崎大学大村分校改称1951年昭和26年3月 - 最後卒業生送り出し長崎大学長崎師範学校旧制)が廃止閉校1959年昭和34年8月9日 - 長崎大学文教キャンパス正門近くに「長崎師範学校原爆慰霊碑」が建立される。

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