官立医学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 05:33 UTC 版)
旧幕府の医学校・病院であった長崎精得館は新政府に接収され、ここを視察した長崎府(長崎県の前身)判事・井上聞多の献策により、1868年(明治元年)11月、長与専斎を初代頭取(校長)とする長崎府医学校・病院に改編された。長崎県医学校(長崎県発足にともない長崎府医学校より改称)は、1871年県から文部省への移管で長崎医学校、学制発布により第六大学区(のち第五大学区)医学校、ついで長崎医学校と改称を重ねたが、1874年10月12日、台湾出兵により病院設備のみが「蕃地事務局病院」と改編され医学校は廃止された。
※この「官立医学校時代」の解説は、「長崎医学校」の解説の一部です。
「官立医学校時代」を含む「長崎医学校」の記事については、「長崎医学校」の概要を参照ください。
- 官立医学校時代のページへのリンク