長崎師範学校
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長崎師範学校 (ながさきしはんがっこう) は、1943年(昭和18年)に長崎県に設置された官立の師範学校である。
- ^ 長崎県立長崎東高等学校・長崎県立長崎西高等学校・長崎市立長崎商業高等学校の源流。外国語学校 (旧制)も参照。
- ^ 『長崎県教育史』(1976年) 249頁による。『長崎大学三十五年史』(1984年) 21頁では 1878年7月。
- ^ 現・長崎市立桜町小学校
- ^ 読みは「きよう」。江戸時代の漢学者が「長崎」を中国の地名らしく呼んだもの。
- ^ 旧・佐賀県部分では、鹿島・唐津の伝習所を佐賀に統合し、佐賀師範学校が設立。
- ^ 佐賀県では翌年1884年(明治16年)7月に佐賀県師範学校を設立。佐賀師範学校を参照。
- ^ 後に女子師範の大村市移転に伴い、長崎市にあった附属幼稚園は一旦廃止されたが、在園生の保護者や地元有志の要望により、私立幼稚園として存続された。その後、1938年(昭和13年)に長崎市に移管され、現長崎市立桜ヶ丘幼稚園となった。なお、桜ヶ丘幼稚園は2012年(平成24年)3月31日をもって閉園した。
- ^ 長崎県告示第81号による。岩原郷立山の県立中学校跡 (現・長崎市立山、長崎歴史文化博物館) に設置。4月15日に附属小学校、幼稚園の授業を開始。
- ^ 現在の長崎県議会
- ^ 教員不足解消のため、大村に第三師範 (男子師範) を新設するという案。
- ^ 現大村市久原1丁目、長崎県立大村城南高等学校校地
- ^ 長崎県立大村城南高等学校学校案内、2011年(平成23年)4月19日閲覧。大村城南高は昭和30年(1955年)に長崎大学教養部跡(旧師範学校下久原校地跡)に移転している。
- ^ 1930年(昭和5年)大村高等女学校(現長崎県立大村高等学校の前身の一つ)の校舎が台風で倒壊した。その復興費用を節約するため、女子師範を大村の男子師範校舎に移転し、これに大村高等女学校を併設することになった
- ^ 『長崎県教育史』(1976年) 258-259頁。
- ^ 長崎県教育史. 長崎県教育委員会. (1976). pp. 264−265
- ^ 女子師範に看護法講習科を付設『東京日日新聞』(昭和15年2月29日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p557 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ a b 『原爆記 : 長崎師範学校被爆三十周年祈念』(1975年) 12頁。
- ^ 250kg爆弾が最上階(3階)を貫通し、2階で爆発。日曜日で人的被害は無し。
- ^ 『原爆記 : 長崎師範学校被爆三十周年祈念』(1975年) 25頁。
- ^ 西浦上 (現・文教町) の校舎は爆心から約1.7km離れており、堅牢な校舎の外構は残った。木造の寄宿舎は倒壊・炎上し、三菱兵器工場の夜勤明けで帰寮していた生徒らの多くが死亡した。
- ^ 附属小学校は閉鎖となった。代用附属校・西浦上尋常高等小学校は校舎倒壊で教師6名が圧死。9月に代用廃止となった。
- ^ 長崎県教育史. 長崎県教育委員会. (1976). pp. 278
- ^ 長崎県教育史. 長崎県教育委員会. (1976). pp. 278-279
- ^ 現大村市西乾馬場町 陸上自衛隊大村駐屯地
- ^ 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。
- ^ 読みは「たまぞの」
- ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』288頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊全国書誌番号:20522067
[続きの解説]
「長崎師範学校」の続きの解説一覧
- 1 長崎師範学校とは
- 2 長崎師範学校の概要
- 3 校地の変遷
- 4 同窓会
固有名詞の分類
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