愛知第一師範学校とは? わかりやすく解説

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愛知第一師範学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 04:49 UTC 版)

愛知第一師範学校 (あいちだいいちしはんがっこう) は、1943年昭和18年)に愛知県名古屋市に設置された官立(国立)の師範学校である。

本項は愛知県師範学校愛知県女子師範学校などの前身諸校を含めて記述する。

概要

  • 1874年明治7年)に創設された愛知県養成学校を起源とする。
  • 1943年(昭和18年)公布の改正師範教育令に基づき、愛知県師範学校愛知県女子師範学校が統合、官立(国立)に移管・設置され、男子部・女子部が置かれた。
  • 戦後の1949年(昭和24年)学制改革で新制愛知学芸大学学芸学部 (現・愛知教育大学教育学部) の母体の一つとなった。

沿革

官立・県立並設期(1874–1877年)

官立(国立)
県立
上記の官立愛知師範学校とは別に、愛知県が小学校教員養成のために設置。
  • 1873年(明治6年)12月12日 - 愛知県養成学校設置(名古屋久屋町一丁目)[1][2]
  • 1874年(明治7年)1月 - 岡崎に分校開校[2]。同年中に各中学区に分校を設けるも、まもなく廃止[1]
  • 1875年(明治8年)9月 - 附属小学校を久屋町に設置[1]
  • 1876年(明治9年)8月 - 法華寺町に移転し、愛知県師範学校に改称[1]。同年中に女範学校設置[3]
  • 1877年(明治10年)3月 - 旧官立愛知師範学校に移転[1]
  • 1878年(明治11年)
    • 2月 - 女範学校を愛知県女学校に改称[3]
    • 10月 - 師範学校を旧県立中学校(七間町)に再移転し、元の校舎に附属小学校を充当[1]
  • 1879年(明治12年)
    • 7月 - 女学校を廃して、師範学校に女子教育部を設置[3]
    • 9月 - 附属書籍室を設置、女子教育部を女学部と改称[1]
  • 1882年(明治15年)8月 - 県会議決により女学部廃止[1]。以後、愛知県第二師範学校への女子部設置(1900年)まで女子教員養成機関は途絶[3]

県立期(1877–1943年)

(男子校の「愛知県第一師範学校」及び「愛知県第二師範学校」と「愛知県女子師範学校」の3校体制)
  • 1923年(大正12年)4月 - 女子師範学校附属小学校を押切町に設置(榎尋常高等小学校の代用附属小学校を解除)。
  • 1925年(大正14年)4月 - 女子師範学校の附属幼稚園を押切町に設置。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、附属小学校を附属国民学校に改称。

官立期(1943–1951年)

  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 改正師範教育令施行により、愛知県第一師範学校と愛知県女子師範学校が統合され、(官立)「愛知第一師範学校」(男子部・女子部)を設置。
    • 本科 (3年制、中等学校卒対象)・予科 (3年制、国民学校高等科〔高等小学校〕卒対象) を設置。
(「愛知第一師範学校」・「愛知第二師範学校」の2校体制)
  • 1945年(昭和20年)5月-名古屋大空襲で愛知第一師範学校女子部と愛知第一師範学校女子部附属国民学校が焼失。[8][9]
  • 1945年(昭和20年)9月-愛知第一師範学校女子部は愛知第一師範学校男子部校舎に間借り。[10]
  • 1946年(昭和21年)2月-愛知第一師範学校女子部は春日井市牛山町陸軍兵舎跡へ移転。[11]
  • 1947年(昭和22年)4月-愛知第一師範学校女子部は当時移転していた愛知第一師範学校女子部附属小学校(春日井市弥生町)に移転。[12]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 男子部・女子部それぞれに附属中学校 (新制) を開設[13]。予科募集停止。
  • 1949年(昭和24年)5月31日 - 国立学校設置法公布により、新制「愛知学芸大学学芸学部」発足。
    • 愛知学芸大学への包括で「愛知学芸大学愛知第一師範学校」となり、在籍生徒の卒業まで師範学校は存続されたが、師範学校としての生徒募集は停止。
    • 愛知第一師範学校校地には、愛知学芸大学名古屋分校が設置され、その際の入学生が愛知学芸大学の第1回生となる。
  • 1951年(昭和26年)

歴代校長

愛知県師範学校・愛知県第一師範学校(前身諸校を含む)
愛知県女子師範学校
  • 郷野基厚:1912年2月22日[34] - 1915年4月27日(→依願免本官[35]
  • 山松鶴吉:1915年4月27日[35] - 1918年7月18日(→長崎県師範学校[36]
  • 宗像鴨四郞:1918年7月18日[36] - 1921年4月20日(→新潟県新潟師範学校[37]
  • 伊東武:1921年4月20日[37] - 1931年4月7日(→奈良県師範学校[38]
  • 楠品次:1931年4月7日[38] - 1932年3月28日(→依願免本官[39]
  • 峯堅雅:1932年3月28日[39] - 1933年3月31日(→依願免本官[40]
  • 瀬谷眞吉郞:1933年3月31日[40] - 1942年3月31日(→依願免本官[41]
  • 福田謹四郞:1942年3月31日[41] - 1943年4月1日(→愛知第二師範学校長[42]
官立愛知第一師範学校
愛知学芸大学愛知第一師範学校
  • 内藤卯三郞:1949年6月13日[44] - 1949年7月31日(愛知学芸大学長との兼任)
  • 山本政治:1949年7月31日[45] - 1951年3月31日廃止

著名な出身者

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『文部省第十年報 明治十五年』愛知県年報・愛知県師範学校沿革。
  2. ^ a b 『愛知県年表』4頁。
  3. ^ a b c d 『愛知県史』第5章第2節学制期。
  4. ^ a b 『愛知県年表』13頁。
  5. ^ a b 『愛知県紀要』110-112頁。
  6. ^ 『愛知県年表』21頁。
  7. ^ 『愛知県年表』30頁。
  8. ^ 富中昭智「終戦直後に春日井に移転してきた愛知第一師範学校女子部附属国民学校」『春日井郷土史 第5号』春日井郷土史研究会”. www.md.ccnw.ne.jp. 2025年5月20日閲覧。
  9. ^ 富中昭智「空襲で焼失した愛知第一師範学校女子部を追って」『春日井郷土史 第6号』春日井郷土史研究会”. www.md.ccnw.ne.jp. 2025年5月20日閲覧。
  10. ^ 富中昭智「空襲で焼失した愛知第一師範学校女子部を追って」『春日井郷土史 第6号』春日井郷土史研究会”. www.md.ccnw.ne.jp. 2025年5月20日閲覧。
  11. ^ 富中昭智「空襲で焼失した愛知第一師範学校女子部を追って」『春日井郷土史 第6号』春日井郷土史研究会”. www.md.ccnw.ne.jp. 2025年5月20日閲覧。
  12. ^ 富中昭智「空襲で焼失した愛知第一師範学校女子部を追って」『春日井郷土史 第6号』春日井郷土史研究会”. www.md.ccnw.ne.jp. 2025年5月20日閲覧。
  13. ^ 富中昭智「終戦直後に春日井に移転してきた愛知第一師範学校女子部附属国民学校 」『春日井郷土史 第5号』春日井郷土史研究会”. www.md.ccnw.ne.jp. 2025年5月20日閲覧。
  14. ^ 文部省編刊『文部省第十一年報 明治十六年』298頁(愛知県年報・学校沿革)。
  15. ^ 文部省編刊『文部省第十二年報 明治十七年』160頁(愛知県年報・学校沿革)。
  16. ^ 『官報』1886年12月27日「叙任及辞令」。
  17. ^ 『官報』1890年5月1日「叙任及辞令」。
  18. ^ 『官報』1890年5月12日「叙任及辞令」、1892年4月1日重任(『官報』1892年4月2日)。
  19. ^ 『官報』1896年6月16日「叙任及辞令」。
  20. ^ 『官報』1896年7月15日「叙任及辞令」。
  21. ^ a b 『官報』1897年6月4日「叙任及辞令」。
  22. ^ 『官報』1898年3月25日「授爵、叙任及辞令」。
  23. ^ 『官報』1898年3月24日「叙任及辞令」。
  24. ^ a b 『官報』1899年6月29日「叙任及辞令」。
  25. ^ a b 『官報』1900年10月29日「叙任及辞令」。
  26. ^ a b 『官報』1903年2月20日「叙任及辞令」。
  27. ^ 『官報』1917年7月7日「叙任及辞令」。
  28. ^ 『官報』1917年7月9日「叙任及辞令」。
  29. ^ 『官報』1935年04月22日「彙報」学事・表彰。
  30. ^ 『官報』1935年4月2日「叙任及辞令」。
  31. ^ 『官報』1941年3月29日「叙任及辞令」。
  32. ^ 『官報』1941年4月4日「叙任及辞令」。
  33. ^ 『官報』1943年4月2日「叙任及辞令」。
  34. ^ 『官報』1912年2月23日「叙任及辞令」。
  35. ^ a b 『官報』1915年4月28日「叙任及辞令」。
  36. ^ a b 『官報』1918年7月22日「叙任及辞令」。
  37. ^ a b 『官報』1921年4月25日「叙任及辞令」。
  38. ^ a b 『官報』1931年4月9日「叙任及辞令」。
  39. ^ a b 『官報』1932年3月29日「叙任及辞令」。
  40. ^ a b 『官報』1933年4月7日「叙任及辞令」。
  41. ^ a b 『官報』1942年4月2日「叙任及辞令」。
  42. ^ a b 『官報』1943年4月2日「叙任及辞令」。
  43. ^ a b 『官報』1945年4月4日「叙任及辞令」。
  44. ^ a b 『官報』1949年10月21日「叙任及辞令」。
  45. ^ 『官報』1949年10月25日「叙任及辞令」。

参考文献

  • 文部省編刊『文部省第十年報 明治十五年』348頁(愛知県年報・愛知県師範学校沿革)。
  • 愛知県編刊『愛知県紀要』1913年、110-112頁(第5章・第2節・第2款 師範教育)。
  • 小塚信次郎編刊『愛知県年表』1926年。
  • 愛知県編刊『愛知県史』第3巻、1939年(第5章教育)。

関連項目

外部リンク




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