官立徳島医学専門学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 13:57 UTC 版)
「徳島医科大学 (旧制)」の記事における「官立徳島医学専門学校時代」の解説
1945年4月: 官立移管し、徳島医学専門学校と改称 (文部省令第5号)。 7月: 空襲で附属医院焼失。 8月: 美馬郡穴吹町に疎開。 9月: 徳島市昭和町に復帰。附属医院、徳島市立富田国民学校 (現・富田小学校) に仮診療所を設置。 12月: 附属医院、徳島県農業会蔵本乾繭倉庫 (徳島市庄町) に移転。 1946年4月: 各学年分散授業となる。第1・2学年: 基礎学校舎 (昭和町)、第3学年: 仮医院 (庄町)・県立農業学校、第4学年: 仮医院。 1947年3月27日: 第1・2学年は A級判定 (存続・医大昇格)、第3・4学年は B級判定 (廃止) となる。第3・4学年生徒の大半は他の医専へ転校したが、経済的理由から転校できない生徒もいた。そのため、1947年5月、特例により官立徳島高等学校を設置し、これらの生徒を収容した。 第1・2学年が A級と判定されたのは、基礎学校舎が健在かつ増築中だったことと、附属医院が再建中で、1・2学年が進級する頃には設備が整うと判断されたことによる。 10月: 徳島市蔵本町の旧陸軍西部第三十三部隊跡に移転。新蔵町で再建中の附属医院は建設作業員の失火で焼失した。また、基礎学校舎の増築中校舎も暴風雨で倒壊した。そのため、蔵本町に統合・再建することとなった。
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