県知事に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:46 UTC 版)
2003年2月に民主党を離党し、4月の神奈川県知事選挙(第15回統一地方選挙)に無所属で立候補する意向を表明した。選挙は、盟友関係の中田宏横浜市長や保守派の石原慎太郎東京都知事から支援を受け、社会民主党参議院議員の田嶋陽子らを破り、当選した。2007年の知事選(第16回統一地方選挙)で、自由民主党神奈川県連推薦の杉野正(埼玉高速鉄道社長)や日本共産党推薦の鴨居洋子を破り、次点の杉野に大差で再選された。多選禁止条例や受動喫煙防止条例の制定を推進し、2期8年間で自ら掲げたマニフェストの約8割を達成したと自ら評価する。 2010年12月、高校無償化で朝鮮学校の補助金交付に関し、朝鮮学校の教育内容を確認する必要があるとして、神奈川県が朝鮮学校への補助金支出の内示を留保していた問題で、自ら朝鮮学校を訪問して教育内容を確認し、教科書の表現の見直しを求め、学校側に文書で回答を求めた。視察の結果や朝鮮学校の回答などを総合的に判断し、朝鮮学校へ県補助金の支給を決定した。松沢は「拉致問題や砲撃事件は非道な行為で北朝鮮への怒りは収まらないが、朝鮮学校で学ぶ子どもにまったく罪はない。こういうときこそ、冷静に判断しなければならない」と述べた。 2011年の知事選(第17回統一地方選挙)に3選立候補が有力視されていたが、2011年3月1日に同じ統一選の日程に組まれた東京都知事選挙への立候補を表明する。4選不出馬が有力視されていた石原慎太郎知事の事実上の後継候補であったが、石原が3月11日に東京都議会で4選立候補を表明し、石原の立候補を支持して3月14日に立候補を撤回した。 2011年4月22日に任期満了に伴い退任し、5月に筑波大学客員教授に就任。6月16日によしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属した。他に聖マリアンナ医科大学客員教授、神奈川工科大学顧問、明治大学兼任講師、PHP総研コンサルティングフェロー、一般社団法人首都圏政策研究所代表理事、一般社団法人スモークフリージャパン代表理事などを務める。 2012年12月に行われた東京都知事選挙に無所属で立候補し、621,278票を獲得したが、猪瀬直樹、宇都宮健児に次ぐ3位に終わり、供託金が没収された。
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