菊水九号作戦
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「菊水九号作戦」・「第十次航空総攻撃」(6月3日 - 7日) 1945年6月に入って、沖縄本島では既に第32軍が首里を放棄し、南部に撤退し持久戦体制をとったが、すでに帰趨は明らかで、軍中央は来たるべき決号作戦の準備に注力するようになっていた。第5航空艦隊と第3航空艦隊も700機の作戦機(内570機稼働)を保有していたが、決号作戦での対機動部隊温存戦力を控除すれば、今までの消耗もあり、沖縄に特攻で投入できる機数は夜間攻撃で毎日10機程度に過ぎなくなっていた。 そのような状況下で3日、「菊水九号作戦」と「第十次航空総攻撃」が発令された。1日から7日にかけて、海軍は作戦機367機、うち特攻機23機を投入し、陸軍は作戦機71機、うち特攻機31機を投入した。しかし、梅雨期で天候不順の日が多く、出撃しても引き返す機が増えて戦果はなかなか上がらなかった。 「沖縄戦#沖縄本島南部の戦い後期 首里陥落 第32軍撤退まで」も参照 重巡ルイビルはフィリピンで特攻により、座乗していたセオドア・チャンドラー(英語版)少将が戦死するなど大きな損害を受けてアメリカ本土で修理を受け、5月28日にハルゼーらの幕僚を乗せて沖縄に到着し艦隊に復帰していたが、6月5日に再度特攻機が命中、ボフォース 40mm機関砲の機関砲座と水上機用カタパルトが破壊され、煙突をなぎ倒し、9名が戦死37名が負傷した。ルイビルは再び修理のために後退し、終戦時も修理中であった。同日、戦艦ミシシッピにも陸軍一式戦が命中したが、損傷は軽微でそのまま任務を継続している。6月6日には護衛空母ナトマ・ベイに零戦が250㎏爆弾を投下し、そのまま飛行甲板に突入したが、この頃になるとアメリカ軍のダメージコントロールも格段に進歩しており、艦載機に引火した火災はまもなく消し止められ、死傷者は5名に収まった。しかし、ルイビル同様に修理のためにアメリカ本土に後退し終戦時には修理が完了していなかった。 6月10日、ウィリアム・D・ポーターを狙った99式艦上爆撃機は、命中することができず、至近の海面に墜落して搭載爆弾が爆発したが、その衝撃でウィリアム・D・ポーターは後部機械室舷側から浸水し、3時間かけて次第に艦が傾斜し最後には転覆して沈没した。特攻機が直撃せずに沈没した珍しいケースとなったが、非常に緩やかに沈没した為、乗組員は全員救助され死者は出なかった(負傷者61名)。 この頃になると、日本軍の特攻出撃数の減少とアメリカ軍の特攻対策の強化により、特攻によるアメリカ軍の損害は激減しており、ニミッツは「カミカゼの脅威を自信をもってはね返すところまで来ていた」と自信を深めている。
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