菊水九号作戦とは? わかりやすく解説

菊水九号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:13 UTC 版)

菊水作戦」の記事における「菊水九号作戦」の解説

「菊水九号作戦」・「第十航空総攻撃」(6月3日 - 7日1945年6月入って沖縄本島では既に第32軍が首里放棄し南部撤退し持久戦体制をとったが、すでに帰趨は明らかで、軍中央は来たるべき決号作戦準備注力するようになっていた。第5航空艦隊第3航空艦隊700機の作戦機(内570機稼働)を保有していたが、決号作戦での対機部隊温存戦力控除すれば今まで消耗もあり、沖縄特攻投入できる機数は夜間攻撃毎日10程度に過ぎなくなっていた。 そのような状況下で3日、「菊水九号作戦」と「第十航空総攻撃」が発令された。1日から7日にかけて、海軍作戦機367機、うち特攻機23機を投入し陸軍作戦機71機、うち特攻機31機を投入した。しかし、梅雨期で天候不順の日が多く出撃しても引き返す機が増えて戦果はなかなか上がらなかった。 「沖縄戦#沖縄本島南部の戦い後期 首里陥落32撤退まで」も参照 重巡ルイビルフィリピン特攻により、座乗していたセオドア・チャンドラー(英語版少将戦死するなど大きな損害受けてアメリカ本土修理を受け、5月28日ハルゼーらの幕僚乗せて沖縄到着し艦隊復帰していたが、6月5日再度特攻機命中ボフォース 40mm機関砲機関砲座と水上機カタパルト破壊され煙突なぎ倒し、9名が戦死37名が負傷したルイビルは再び修理のために後退し終戦時修理であった同日戦艦ミシシッピにも陸軍一式戦命中したが、損傷軽微そのまま任務継続している。6月6日には護衛空母ナトマ・ベイ零戦250爆弾投下しそのまま飛行甲板突入したが、この頃になるとアメリカ軍ダメージコントロール格段に進歩しており、艦載機引火した火災はまもなく消し止められ死傷者は5名に収まった。しかし、ルイビル同様に修理のためにアメリカ本土後退し終戦時には修理完了していなかった。 6月10日ウィリアム・D・ポーター狙った99式艦上爆撃機は、命中することができず、至近海面墜落して搭載爆弾爆発したが、その衝撃ウィリアム・D・ポーター後部機械室舷側から浸水し3時間かけて次第に艦が傾斜し最後に転覆して沈没した特攻機直撃せずに沈没した珍しいケースとなったが、非常に緩やかに沈没した為、乗組員全員救助され死者は出なかった(負傷者61名)。 この頃になると、日本軍特攻出撃数の減少アメリカ軍特攻対策強化により、特攻によるアメリカ軍損害激減しており、ニミッツは「カミカゼ脅威自信をもってはね返すところまで来ていた」と自信深めている。

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