テネシーとは? わかりやすく解説

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テネシー【Tennessee】

読み方:てねしー

米国南部の州。州都ナッシュビル州内テネシー川流れる。タバコ大豆綿花産し工業も盛ん。南北戦争戦跡が多い。→アメリカ合衆国[補説]

テネシーの画像
テネシー州の位置
テネシーの画像
州会議事堂撮影・arianravan http://os7.biz/u/olTpo

テネシー【テネシー】(観賞樹)

登録番号 第4404号
登録年月日 1995年 3月 15日
農林水産植物の種類 ばら
登録品種の名称及びその読み テネシー
 よみ:テネシー
品種登録の有効期限 18 年
育成者権の消滅 2000年 3月 16日
品種登録者の名称 第一園芸株式会社
品種登録者の住所 東京都渋谷区渋谷一丁目1番4号
登録品種の育成をした者の氏名 ペートルスエギディウスブーレージ
登録品種の植物体の特性の概要
 この品種は,「コクテール」に「エリオラ」を交配して育成されたものであり,花房の形は単花咲花色が鮮丸弁整形咲,微香の中輪花となる切花向きの品種である。  樹形及び株立は普通,樹高は中である。開花太さは中,新梢の色及び開花後のの色は青銅である。とげの曲性は下向き,形は下部えぐれ形,長さは中,基部の幅は普通,色は青銅,数は幹の部分及び花枝基部は中,花枝中央部は少,花首はほとんど無である。小葉の数は7本葉長さ及び幅は普通である。展開直後若葉の色は赤紫光沢は半光沢成熟の色は濃緑光沢は半光沢葉肉厚さ及び硬さは普通である。花房の形は単花咲の形はつぼ形である。花形整形咲,花の大きさは中輪,高さは中位花弁表側の色は鮮JHS カラーチャート1306)に基部が鮮黄(同2205),裏側の色は明(同1305)に基部が鮮黄(同2205)である。花弁光沢は普通,花色移行性は難,花弁の形は丸弁花弁一枚の形は円形先端丸形花弁厚さ及び硬さは普通,数は30~34である。花の香りは微香開花時期早咲である。  「マリーナ」と比較して成熟光沢が半光沢であること,花色が鮮であること等で区別性認められる
登録品種の育成経過概要
 この品種は,育成者ほ場オランダ王国)において,1984年に「コクテール」に「エリオラ」を交配しその実生の中から選抜し,これを増殖して試作し,諸特性が安定していることを確認して1988年育成完了したのである



テネシー

名前 Tennessee; Tennesse

テネシー州

(テネシー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 05:51 UTC 版)

テネシー州(テネシーしゅう、: State of Tennessee [tɛnᵻˈsiː] ( 音声ファイル)略号: TN[1][2], Tenn.[1][2][3]チェロキー語: ᏔᎾᏏ‎, ラテン文字転写: tanasi[注 1])は、アメリカ合衆国南部の[2][3]。合衆国50州の中で陸地面積では第36位、人口では第16位でもある。南北戦争では南部連合側に属し、シャイローナッシュビルマーフリーズボロなどが戦場となった。


注釈

  1. ^ ウィクショナリーTennessee #English (英語)も参照されたい。
  2. ^ 現在ではリトルテネシー川。

出典

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テネシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/17 06:35 UTC 版)

イベンダー・ロー」の記事における「テネシー」の解説

ゲティスバーグ後でロングストリート軍団西部戦線転属となり、ブラクストン・ブラッグ将軍テネシー軍合流してチカマウガの戦い勝利加わったフッドチカマウガの戦い参加したが、フッドテネシー軍の「翼」の指揮官として行動したロングストリート軍団指揮官として働いたローフッド師団の中では上級旅団長として再度その師団指揮代行した9月20日ロー指揮にあったフッド師団北軍前線隙間攻めて少なくとも敵の大砲15門を捕獲したフッドその日再度重傷負ったので、ロー師団長留まることになったロングストリートチカマウガ時のロー功績褒めたが、この2人激し論争始めようになった。その元はロングストリートお気に入りであるミカ・ジェンキンス准将ローとの間の職業的嫉妬によるものだった。異な時と場所で、ロングストリートフッド師団指揮官職が空いた場合に、ロージェンキンス双方にその職を約束していた。ローフッド師団ができたときから仕えており、ゲティスバーグチカマウガではそれを指揮して功績残していた。ジェンキンスはこの師団にとって新参であり、一度指揮を執ったことは無かったが、その准将指名され日付ローのものより前だった。またチカマウガの直ぐの1863年9月ジェンキンス旅団フッド師団に付けられたとき、フッド負傷して不在となり、ローフッド師団をジェンキスに渡すしかなかった。 フッド師団ブラッグ軍隊と共にチャタヌーガ包囲戦参加した1863年10月遅くまでに、ロー旅団フッド師団軍隊から離れルックアウト渓谷呼ばれることになるテネシー川のブラウンズフェリー(渡し場)を守ったロー休み取って負傷したフッド尋ねている間に、師団長ジェンキンスがブラウンズフェリーの防衛隊から半分以上抜いてしまった。これは敵の動きに関する情報があり、またブラウンズフェリー近く残っている2つ連隊1つである第15アラバマ連隊指揮するウィリアム・オーツ大佐からの援軍要請合ったにも関わらない行動だった。10月24日北軍がブラウンズフェリーを強襲し守備隊圧倒した数日後北軍ポトマック軍からの援軍である第11及び第12軍団がルックアウト渓谷の他の端であるウォーハッチー駅に到着した。これら新鮮な北軍がブラウンズフェリーを占領した北軍組んでユリシーズ・グラント中将が「クラッカー・ライン」を開くことを可能にし、チャタヌーガ市内飢えていた北軍物資届けることができた。 南軍ブラッグ将軍は「クラッカー・ライン」がチャタヌーガ包囲終わり意味するものと考え10月28日ロングストリートにその軍団率いてルックアウト渓谷支配を奪うよう命じたロングストリートは敵の2個軍団対処するためにフッド師団のみを派遣することにした。ジェンキンス直ぐにウォーハッチーで鉄道夜襲掛ける作戦立て、ジョン・ブラットン大佐指揮するジェンキンス旅団ヘンリー・Lベニング准将旅団合計2個旅団攻撃することにした。ウォーハッチーへの攻撃同時に1マイル (1.6 km)以上離れたブラウンズフェリー近くではテキサス旅団ロー旅団妨害行動を行うこととした。ジェンキンスは既に勢力劣勢だったが、やはりフッド師団属すジョージ・T・アンダーソン准将旅団自身旅団のハンプトン・リージョン歩兵連隊かなりの兵力使わないことでさらに事態難しくなった。いざ戦闘が始まると、師団長であるジェンキンス広く分散した師団最左翼であるウォーハッチーまで馬で乗り進み全軍協調させられるような位置にはいなかった。その後の戦闘南軍負けになったジェンキンスは後に、ローがその妨害工作あまりに早く諦めた主張したローテキサス旅団長であるロバートソン准将は、他の部隊協調して動いた主張した。この論争ジェンキンスローの間の緊張関係を沸騰点まで高め決して収まることは無かったジェンキンス1863年11月から12月にかけて、ロングストリートノックスビル方面作戦でもフッド師団指揮続けたフッド師団ジェンキンスの下で機能働かないままであり、ジェンキンスは特にキャンベル駅の戦いで難局ロー再度非難したフッド師団およびロングストリート軍団指揮状態は1864年3月まで著しく悪化し、この時、ロングストリートローラファイエット・マクローズ少将および少なくとも1人准将逮捕させ軍法会議掛けたロングストリート部下達対す告発南軍陸軍省から支持されなかった。 打ち続くストレスによってロー辞任申し出ることになり、自ら辞表提出するためにリッチモンド移動したリッチモンドローフッドのもとを訪れると、フッドロー辞任思い留まり陸軍省にはそれを受け付けないようフッド影響力行使する伝えたローがまだ東テネシーにあった自分旅団に戻ると、ロングストリート命令不服従の廉でロー逮捕するよう命じたロー旅団兵士達はこの時までに一人大佐除いて旅団全体と共にその連隊アラバマ転属することを要請していた。ロングストリートはその部隊をテネシーに残すことで仕返しし軍団残り北バージニア軍再度合流しようとした。しかし、ロバート・E・リー将軍ローアラバマ部隊北バージニア軍に戻るよう命令したフッドはこのとき昇進しており、フッド師団新し指揮官としてチャールズ・W・フィールド任命されその後この師団ははっきりと好転し1ヶ月のうちにチカマウガ示したような効率良さ取り戻した

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「テネシー」を含む「イベンダー・ロー」の記事については、「イベンダー・ロー」の概要を参照ください。


テネシー

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ジェイムズ・ロングストリート」の記事における「テネシー」の解説

1863年8月半ばロングストリート西部戦線転進するという試み再開したアメリカ連合国陸軍長官ジェイムズ・セドン私的な手紙送り古い友人ジョセフ・ジョンストンの下で働きたい頼んだ。さらに議会同調者ルイス・ウィグフォール上院議員との会話でその考え押した。ウィグフォールは以前からロングストリートブラクストン・ブラッグ後任にと考えていた。ブラッグ軍はチャタヌーガ郊外でローズクランズ軍からの圧力日増しに受けるようになっていたので、リーデイヴィス大統領9月5日要請応じた南軍にとって最も大変なものの1つ数えられる兵站上の努力により、ロングストリートラファイエット・マクローズジョン・フッド師団ジョージ・ピケット師団から1旅団およびポーター・アレクサンダーの26砲兵大隊を、両カロライナ州を通りジョージア州北部にいるブラッグのところまで16鉄道使い775マイル (1,240 km)を移動させた。この行動のために3週間以上を要したが、ロングストリートとその軍団主要部隊9月17日到着した第1軍団古参兵はチカマウガの戦い初期段階間に合ったブラッグロングストリート左翼指揮に、レオニダス・ポーク中将右翼指揮置いた9月20日ロングストリートは敵の狭い前衛対し、8個旅団長い縦列にして攻撃仕掛けさせた。偶然、ローズクランズからの誤った命令北軍戦列隙間生じロングストリート軍はそれに付け込んだ攻撃側組み立て地形適ったものであり、それでなくとも北軍戦列強力な圧力を掛けるのだった北軍右翼崩壊しブラッグ軍が接近して敵軍打ち破ろうとした。ローズクランズとその多く部隊チャタヌーガ方向撤退する中で、ジョージ・ヘンリー・トーマス少将部隊だけが頑強に守り総崩れ防いだブラッグ退却する北軍強いて追撃しようとはしなかった。それにも拘わらずチカマウガ西部戦線における南軍最大勝利であり、ロングストリートはその功績評価された。 ロングストリート直ぐになにかと悪評のあるブラッグ衝突しブラッグ更迭しようと動いている軍の古参指揮者達の指導者になった。ブラッグ部下達以前からその指導力やかんに障る性格に不満を抱いていた。古参中将であるロングストリート到着し行動起こすには絶好の時となったロングストリートはセドンに宛てて手紙書いた。 今の指揮官が居る限り神の手以外の何者も我々を救った助けてくれはしないと確信している。 状況深刻だったので、デイヴィス大統領直に仲裁するしかなかった。次に起こったことはこの戦争中でも異様な場面であり、ブラッグ上官責められて顔を真っ赤にして座っていた。ロングストリートは、ブラッグが「1軍指揮する能力無く、すなわち兵士戦闘向かわせる力が無く」、「やるべきことが分かっていない」と言ったデイヴィス大統領ブラッグの肩を持ち、この論争解決するためには何もしなかった。 ブラッグはその地位保ちロングストリートに対してバージニアから連れてきた部隊のみに限定してその指揮権の及ぶ範囲を減らすことで報復した第三次チャタヌーガの戦い前に幾つか小さな戦闘参加した後、ロングストリートとその部隊東テネシー派遣されて、北軍アンブローズ・バーンサイド軍の前進抑えることになったノックスビル方面作戦)。ロングストリートがこの任務選ばれたことは、ブラッグ敵意よるものでもあったが、陸軍省ロングストリート軍をリー軍に戻したい考えており、この移動その方向に近付けるという意図があった。 ロングストリート11月ノックスビルに向かう行軍鈍かったので批判され、その部隊幾つかは「スロー・ピーター」という渾名使い始めた。バーンサイドはキャンベルズ・ステーションの戦いでロングストリート軍の圧力回避し、町の周り塹壕掘って守備固めたロングストリート包囲したがうまく行かなかった。サンダース砦の戦いでも南軍活路を開かせなかった。ブラッグ11月25日チャタヌーガグラント敗れたとき、ロングストリートジョージア州北部テネシー軍合流することを命じられた。ロングストリート躊躇してバージニアに戻る動き始めたが、それから間もない12月初めにウィリアム・シャーマン軍の追撃受けたロングストリート軍は冬の宿営に入り春に北バージニア軍再度合流した。この小さな作戦行動成果と言えばチャタヌーガブラッグが必要とした部隊奪ったことだった。ロングストリートサフォーク以降初め単独指揮した行動失敗終わり自尊心を傷つけられた。作戦失敗対す反応として、セブンパインズのときにやったように他人非難したラファイエット・マクローズ指揮官から解任し、ジェローム・ロバートソン准将イベンダー・ロー准将軍法会議要求した総務局長のサミュエル・クーパーには12月30日辞意伝え手紙送った。しかし、その辞意受け付けられなかった。 ロングストリート軍団東テネシー適切な隠れ場物資無く厳しい冬を過ごした後、再び戦略計画練り始めた。テネシーからケンタッキー向けて攻撃的遠征行い、P.G.T.ボーリガード2万名の軍団応援を貰うというものだったリーとは意見一致したものの、デイヴィス大統領やその新しく指名した軍事顧問ブラクストン・ブラッグ説得することはできなかった。

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テネシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/16 06:06 UTC 版)

アメリカ大陸のウェールズ移民」の記事における「テネシー」の解説

南北戦争後ウェールズ移民104家族ペンシルベニアからテネシー州東部移動した。これらのウェールズ人ノックスビル市の一部であるメカニクスビルと呼ばれる地域入植した。これらの家族ジョセフデイビッドリチャーズ兄弟募集し当時ジョン・H・ジョーンズ共同所有する圧延工場で働いたリチャーズ兄弟はルイビル・ナッシュビル鉄道の側にノックスビル鉄工所共同設立し、そこが後に1982年のワールドフェア会場になったウェールズ移民働いた鉄工所当初建物の中で、レストラン「ザ・ファンドリー」(鋳造所の意)を収容する建物だけが今も残っている。1982年のワールドフェアでこの建物はストロハウスと呼ばれていた。 ウェールズ移民第二長老派教会のために取って置かれスペース見て1870年自分達の組合教会建設し、トマス・トーマスを初代牧師任命した。しかし、1899年にはこの教会資産売却された。 ウェールズ移民ノックスビル成功し他の事業設立した。その中には石炭車作る会社スレート屋根材を作る会社数社、大理石会社家具作る会社数社などがあった。1930年までに多くウェールズ移民市内他の地域セビア郡など隣接する郡部分散していった。今日ノックスビル都市圏250上の家族当初移民中に直接その先祖を辿ることができる。ノックスビルにおけるウェールズ伝統はセントデイビッドの日を祝う子孫達に伝えられている。

※この「テネシー」の解説は、「アメリカ大陸のウェールズ移民」の解説の一部です。
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テネシー

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カントリーベア・ジャンボリー」の記事における「テネシー」の解説

ギター似た1本弦の楽器演奏する他、夏季冬季ジグゼブと共にボーカル担当する

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テネシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 22:58 UTC 版)

第12軍団 (北軍)」の記事における「テネシー」の解説

ゲティスバーグ方面作戦終了後ポトマック軍ロバート・E・リー追跡してバージニア入った第12軍団も追撃戦参加し、ラパハノックまで前進した。ラパハノックに滞在中の1863年9月23日第11軍団第12軍団はポトマック軍本体から分離されチャタヌーガ包囲されていたウィリアム・ローズクランズ支援するように命令された。2個軍団総司令官にはジョセフ・フッカー少将任命された。テネシーに到着後、ギアリー師団前線配置され他方ウィリアムズ師団はマーフリーズボロからブリッジポート間の鉄道沿いに留め置かれた。ギアリーチャタヌーガ包囲された軍と合流するために前進した10月27日の夜、師団ルックアウト渓谷野営したが、前進しすぎたため他の部隊からは孤立していた。深夜ジェイムズ・ロングストリート部隊一部攻撃をかけてきた。しかし、ギアリー奇襲対す備えをしており、ロングストリート撃退したこの際ギアリー第11軍団一部部隊から、迅速かつ勇敢な支援を受けることができた。カンバーランド軍司令官であるジョージ・ヘンリー・トーマスは、その公式報告書に「数に勝る敵の奇襲撃退したギアリー師団反撃は、この戦争において最も際立った功績位置づけられるだろう」と記している。 翌28日から29日にかけての深夜にはワウハッチーの戦いBattle of Wauhatchie)が発生し翌月にはルックアウト山の戦い勝利した。そこでの第2師団奮戦は、「雲の上戦い」として有名となったギアリー第4軍団のウォルター・ワイテイカー(Walter C. Whitaker)の旅団支援した。ワイテイカーの連隊一つである第8ケンタッキー連隊が、最初に山頂に旗を立てた

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テネシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 22:59 UTC 版)

第11軍団 (北軍)」の記事における「テネシー」の解説

ゲティスバーグの戦いの後、第11軍団バージニア戻った8月7日第1師団第11軍団所属から離れサウスカロライナ州チャールストンへ向かうよう命令受けた9月24日第2師団(フォン・シュタインヴェール)及び第3師団シュルツ)は、カンバーランド軍補強のため、第12軍と共にテネシーへ向かう命令ようを受けた。これら2個師団は総人員20,000人を超えていたが、1週間の間に1,200マイル以上を移動しテネシー川の沿いのブリッジポート事故遅滞もなく到着した。なお、ジョセフ・フッカー第11軍団第12軍団の総合指揮官となった10月29日包囲されチャタヌーガへの補給路を確保するために開始された、ワウハッチーの戦いBattle of Wauhatchie)の戦いでハワードの2個師団第12軍団を支援するよう命令された。 戦場到着すると、フォン・シュタインヴェール師団のオーランド・スミス(Orland Smith大佐旅団は、敵と面する急なに対して突撃をかけた。敵からの銃火浴びた発砲行わず銃剣のみでジェイムズ・ロングストリート南軍古参兵を塹壕から追い落とした。この攻撃いくつかの連隊大損害を受けたが、この極めて勇敢な攻撃ユリシーズ・グラント等の高官達から大きな賞賛受けた11軍団一部は、ミッショナリー・リッジの戦いにも参加し左翼ウィリアム・シャーマン協力した戦いの後軍団ノックスビル解放向かったが、この作戦困難さ補給不足は、以前経験した作戦上回るものであった1864年4月第11軍団の2個師団分割され新たに組織され第20軍団所属となったハワード第4軍団軍団長となり、その後さらにテネシー軍司令官昇進した

※この「テネシー」の解説は、「第11軍団 (北軍)」の解説の一部です。
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「テネシー」の例文・使い方・用例・文例

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