海軍の作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:46 UTC 版)
戦いの舞台は多くの島が散在する場所であり、両軍とも増援や補給は海上部隊に頼らざるを得ないため、この戦いでの海軍の役割ははっきりしている。しかし、最初は両軍の海軍の存在は大きくなかった。連合軍の艦船の多くは、地中海中央部でイタリアでの戦いの支援に当たっており、一方ドイツ海軍はエーゲ海に大きな海軍兵力は有していなかった。しかし、ドイツは優勢な航空兵力を有していて、連合軍の艦船に多くの損害を与えた。 エーゲ海方面のドイツ軍司令官、ヴェルナー・ランゲ(英語版)中将 (Werner Lange) は、孤立したドイツ軍への増援や連合軍に対する作戦を行うと同時に、イタリア軍捕虜のギリシャ本土への移送も行っていた。一方、連合軍の艦船はそれらの阻止しようとしていた。 9月14日、連合軍艦船に最初の損失が生じた。ギリシャ海軍の潜水艦カトソニス(英語版)(Y-1 Κατσώνης)が駆潜艇UJ2101に体当たりされ沈没した。9月18日、イギリス海軍の駆逐艦エクリプス(英語版)、フォークナーとギリシャ海軍の駆逐艦ヴァシリッサ・オルガ(ΒΠ Βασίλισσα Όλγα) は、アスティパレア島の近くで駆潜艇UJ2104と2隻の貨物船からなる船団を全滅させた。9月23日、ロードス島の南方海上でイギリス海軍の駆逐艦エクリプスがイタリア兵捕虜1576名を輸送中の船ガエターノ・ドニゼッティ(英語版)を撃沈し、護衛の水雷艇TA10 を大破させた。1ヵ月後、イタリア軍捕虜を乗せた貨物船シンフラ(英語版)がB-25爆撃機やブリストル ボーファイターによる航空攻撃によって沈没した。この船には2,389名のイタリア軍捕虜と71名のギリシャ軍捕虜およびドイツ兵204名が乗っていたが、救助されたのは539名であった。 ドイツ空軍も攻撃をおこない、9月26日に25機のJu 88爆撃機がギリシャ海軍のヴァシリッサ・オルガとイギリスのイントレピッドの2駆逐艦をレロス島ラッキ湾で撃沈し、10月1日にはイタリア海軍の駆逐艦エウロ(英語版)を撃沈した。さらに10月9日にはイギリス海軍の駆逐艦パンサーを沈め、防空巡洋艦カーライル(英語版)に修理不能の損害を与えた。 コス島失陥による航空支援の途絶後、連合国の海軍はレロス島とサモス島への補給に重点を移し、その活動は主に夜間に行われた。10月22日から24日の間に、カリムノス島東方にあったドイツの機雷原でイギリス海軍の駆逐艦ハーワース(英語版)、エクリプスが沈没し、ギリシャ海軍の駆逐艦アドリアス (Αδρίας Ι (L-67) )が艦首を失った。アドリアスはどうにか中立国のトルコへ逃れ、そこからエジプトのアレクサンドリアへと向かった。 11月10日から11日の夜、イギリス海軍の駆逐艦ペタード(英語版)、ロックウッドとポーランド海軍の駆逐艦クラコヴィアック(英語版)(Krakowiak)がカリムノス島を砲撃し、イギリス海軍の駆逐艦フォルクナーは、レロス島攻撃のためドイツ軍が集結していたコス島を攻撃した。しかし、25隻の小艦艇に護衛されたドイツの船団は11月12日、無事にレロス島に到着した。続く夜、連合軍の駆逐艦はドイツ船を捜索したが、何も発見できず、レロス島のドイツ軍陣地を攻撃したに留まった。11月16日にレロス島が陥落すると、連合軍の艦艇はドデカネス諸島海域から撤退した。 この時までにドイツ軍は誘導爆弾Hs 293を搭載するDo 217爆撃機の部隊を配備していて、11月11日にイギリスの駆逐艦ロックウッドを大破させ、その2日後には駆逐艦ダルヴァートン(英語版)撃沈という戦果をあげた。 一連の戦闘で連合軍は1隻の巡洋艦、6隻の駆逐艦、2隻の潜水艦などを失った。
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