海軍に入隊するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 04:49 UTC 版)
「チャールズ・ノウルズ」の記事における「海軍に入隊するまで」の解説
ノウルズはおそらく1704年ごろに生まれたとされるが、一部の文献では1697年生まれとなっている。また、名義上の第4代バンベリー伯爵であったチャールズ・ノリスの庶子とも考えられている。ノウルズの教育を担当したのは、片親違いの兄であるウォリングフォード卿であり、ノウルズは1718年3月に海軍に入隊し、ウォリングフォードから提督ジョージ・ビングに推薦された。ノウルズはビングの艦隊の1隻である、70門艦のバッキンガム(英語版)に乗艦し、チャールズ・ストリックランド艦長のもとで任務に就いたが、4月にレノックスに異動して艦長の使用人となった。レノックスには1720年12月まで乗艦し、ビングの艦隊と共に地中海での任務に就いた。1718年8月11日のパッサロ岬の戦いに参戦したが、その時は一時的にビングの旗艦バルフュール(英語版)に乗っていたであろうとされている。 その後ノウルズは、1721年6月にライム (HMS Lyme) に乗艦した。はじめはヴェレ・ボークラーク艦長の使用人として働き、その後1年半は熟練船員として働いた。ノウルズは地中海での任務の間はずっとライムに名前が登録されており、任務から解かれたのは1726年6月だった。しかしこれは単に名前のみの配属で、おそらくは上陸して学問に多くの時間を割いていたと思われる。イギリスへ戻ったノウルズは護衛艦ウィンチェスター(英語版)に乗り、その後はキンセールでサー・チャールズ・ウェージャーの旗艦トーベイ(英語版)に乗って、ボークラークのもとで任務に就いた。1730年5月30日に中尉としてスループ船トライオール(英語版)に乗るまで、トーベイでの任務は続いた。翌年3月にはライオンの乗員となった、その3月にこの艦は海軍少将チャールズ・ステュワート(英語版)の旗艦として西インド諸島へと出航した。
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