海軍における軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/24 11:40 UTC 版)
「アンドリュー・ウッド・オブ・ラーゴ」の記事における「海軍における軍歴」の解説
ウッドの軍歴は、ジェームズ3世の治世(1460年-1488年)に私掠船から始まり、ジェームズ4世の治世(1488年-1513年)に大きな出世を遂げた。 1489年の時点で、ウッドは2隻の戦艦「Flower」と「Yellow Carvel」を所有しており、ダンバー(英語版)近郊の沖合で、イングランド王国の艦船5隻と戦って、これらを拿捕した。これに対してイングランド側は、翌年、スティーヴン・ブル (Stephen Bull) を指揮官に、より大規模な遠征隊を送り込み、フォース湾でウッドの艦船を攻撃した。この海戦は夜間を挟んで二日間に及び、エディンバラの群衆もこれを眺めていた。艦船の数も大砲の数も劣っていたにもかかわらず、ウッズは最終的に勝利を収め、イングランド側の艦船は拿捕された。この海戦の後、ジェームズ4世はウッズをナイトに叙し、捕虜としたイングランド側の水兵の一部を徴用することを許したので、水兵たちは後にラーゴ(英語版)の築城工事に従事させられた。 サー・アンドリューは、ジェームズ4世が建造させた、建造当時キリスト教世界最大の艦船であったキャラック船「グレート・マイケル(英語版)」の、初代艦長であった。 ブルの艦隊を打ち破ったウッズの勝利。 スコットランド博物館に展示されている「Yellow Carvel」の模型。
※この「海軍における軍歴」の解説は、「アンドリュー・ウッド・オブ・ラーゴ」の解説の一部です。
「海軍における軍歴」を含む「アンドリュー・ウッド・オブ・ラーゴ」の記事については、「アンドリュー・ウッド・オブ・ラーゴ」の概要を参照ください。
- 海軍における軍歴のページへのリンク