海軍との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/08/02 15:37 UTC 版)
黒潮会は、海軍からの便宜として、海軍省庁舎内1階入口左に10坪弱の1室を供与されていた。同庁舎の2階が大臣室など海軍省関係で、3階は軍令部関係の区画となっていた。海軍大臣の公式の記者会見は、大臣室の大テーブルを囲む形式で行われた。なお、日中戦争中に設置された社会部記者室に対しても黒潮会の向かいの部屋が供与され、人数の増加に応じて廊下にまで机を並べて取材に当たっていた。 海軍報道部が行うラジオ講演などについては、事前に原稿が黒潮会へ提供される慣行となっていた。ただ、日中戦争期には国策通信社の同盟通信社だけに情報が事前提供されることもあり、会員の反発を招いた。 黒潮会は軍政機関の海軍省の記者クラブであったことから、同じ海軍でも軍令部とは直接の結びつきが無かった。軍令部担当の記者クラブは存在しない。海軍大臣や海軍次官ら海軍省関係者が主たる取材対象だった。ただ、軍令部に対する取材を行うこともあり、海軍省と軍令部が対立した1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議の際には、加藤寛治海軍軍令部長が黒潮会に対して記者会見を開いていたほか、第二次世界大戦期には大井篤や源田実ら軍令部員を招いてヨーロッパ方面の戦況解説を受けている。軍令部側でも黒潮会員の一部を呼んで懇親会を開くなど交流があった。 海軍との関係性は、新聞社・通信社あるいは記者ごとに違いがあり、記者が黒潮会会員であっても報道内容は異なった。毎日新聞社系の『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』は、御用新聞と評されることもあるほど海軍に好意的で、特にロンドン海軍軍縮会議が問題となった時期には軍令部系統の艦隊派に親しい報道姿勢であった。毎日新聞の黒潮会員だった新名丈夫は、1944年(昭和19年)に陸海軍の航空機分配問題を背景に海軍寄りの記事を書いたことから、陸軍により懲罰召集を受ける竹槍事件に遭うも、海軍報道部の手配により海軍報道班員として保護されている。日中戦争中には、池田林儀を中心に『報知新聞』の黒潮会元会員などが報道部別室として軍広報に協力した。海軍内の派閥抗争に黒潮会員が利用されることもあり、1934年(昭和9年)には個人的に艦隊派と親しかった記者が、条約派に属する坂野常善軍事普及部委員長の「失言」を捏造する不祥事を起こしている。
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