学生時代から政財界入りまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 08:59 UTC 版)
「松方幸次郎」の記事における「学生時代から政財界入りまで」の解説
1865年(慶応元年)薩摩藩士・松方正義の三男として薩摩国鹿児島郡鹿児島近在荒田村(現在の鹿児島市下荒田)に生まれる。1875年(明治8年)、明治政府高官に就いた父・正義の住む東京に移り、翌年1876年9月に海軍との関係が強かった攻玉塾(現・攻玉社高)幼年科に入塾。1878年(明治11年)に同中年科に進学。 さらに共立学校(現・開成高)で学び、1881年(明治14年)に東京大学予備門(旧制第一高校を経て現・東京大学教養学部)に入学した。1883年(明治16年)に東京大学の学生運動第一号と言われる「明治十六年事件」に関わり、学位授与式をボイコットした。これは学位授与式の運営方法を巡って、かねてからの学校側の学生に対する管理強化に学生の不満が爆発したものだった。翌年1884年(明治17年)に東京大学予備門を中退。同年4月に渡米。ラトガーズ大学に入学の後、イェール大学に転学。法律学博士号を取得し、1890年(明治23年)帰国。1891年(明治24年)第一次松方内閣組閣に伴い、父の首相秘書官となる。一時、新聞事業経営や官途についたが、1894年(明治27年)に浪速火災保険の副社長に就任し関西における財活動を開始した。
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