陸軍航空総監部兼航空本部長
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「阿南惟幾」の記事における「陸軍航空総監部兼航空本部長」の解説
1944年12月航空総監兼航空本部長への異動を命じられた。レイテ島を攻略した連合軍はミンドロ島を皮切りにフィリピン全体の制圧を目指しており、大本営には、阿南に豪北、ボルネオ、南部フィリピンを一元統帥させ連合軍に対抗させる案もあり、阿南もこの地で軍司令官として玉砕する覚悟であったため、この日の阿南の日記には「若者多数を失い、生きて再び皇土を踏むの面目なしと迄覚悟までした身」と無念を滲ませた記述をしている。しかし、阿南の信念は、「死ぬことだけでは義務を果たしたことにはならない、生きていられるだけ生きて戦力になれ」であって、部下にも常々言って聞かせており、戦死した部下将兵に殉じたいとする気持ちを抑えて東京に向かった。 この頃には、戦局の悪化に伴って阿南陸軍大臣待望論が強まっており、ダバオで阿南と面談した三笠宮崇仁親王は「阿南は人格高潔、部下は心服し、海軍との関係も良い、阿南が南方第一線を指揮することはもっとも必要であるが、陸軍大臣として活動してもらうことはそれ以上必要である」と帰国後に東久邇宮稔彦王に進言しているなど、この異動は阿南の陸軍大臣就任を見据えて、陸軍中央が外地から呼び戻したという意味合いが大きかった。阿南の耳にも陸軍大臣待望論は聞こえていたが、「予を陸相に擬するもの多きも、重要作戦任務を拝命して任を尽くさず。豈何ぞ甘受し得んや。勿論其の器にあらざるを自ら識る」と日記に記しているなど否定的であった。 阿南は東京に帰る途中で、ルソン島に寄って、第14方面軍司令官としてフィリピンで悪戦苦闘する同期で親しい山下を激励したいと願ったが、サイゴンで、フィリピンの戦況に詳しい南方軍総参謀長沼田多稼蔵中将より現状を聞かされて、ルソン島行きを断念した。結局、この後も阿南と山下が再会することはなかった。 阿南が着任して間もなくに硫黄島の戦いが始まり、いよいよ連合軍が本土に迫ってくることとなった。フィリピンでの「万朶隊」と「富嶽隊」を皮切りに陸軍航空隊でも、既に特別攻撃隊が多数出撃している状況であったが、阿南自身は「特別攻撃は決死隊であっても、生還の道は講じるべきである。敵艦への航空特攻のように、死によってのみ任務遂行できる出撃を命じるのは、上官としてあまりに武士の情にかける」と考えて、航空特攻には批判的であった。しかし、大本営の方針は天号作戦として、本土付近に侵攻してくる連合軍に対して、航空攻撃で大出血を強いるという計画を決定、その主戦術は特攻とされており、阿南は否が応でも特攻に関わっていくこととなる。 天号作戦においては、どうしても陸海軍航空戦力を総合的に運用する必要があった。しかし沖縄で決戦をしようと計画する海軍に対して、一定の戦力を拘置し本土決戦を重視する陸軍の方針は相違しており、海軍の中には陸軍航空を海軍の指揮下に入れ、陸海軍統合戦力として決戦するべきという意見が強く、陸軍内でも同調する意見もあった。しかし、このような重要な提議をするためには航空総監である阿南の諒解が必要であり、陸軍航空の海軍指揮下編入に同意していた参謀本部第1作戦部長宮崎周一中将は、気兼ねしながら阿南に申し出た。阿南は第2方面軍司令官の際には何回も海軍に煮え湯を飲まされており、私怨もあって簡単には同意しないものと思われたが、気兼ねしている宮崎に対してあっさりと笑顔で「結構ですよ」「喜んで豊田大将(連合艦隊司令長官豊田副武)の指揮をうけましょう」「すぐにでも日吉台に挨拶に行ってよい」と答えて宮崎を安心させている。 阿南は陸軍の本土決戦のための戦力温存策には反対であり、特攻には批判的ながら「本土決戦ばかり考えず、航空戦力すべてを挙げて沖縄の敵を叩くべきだ」「俺も最後には特攻隊員として敵艦に突入する覚悟だ」と梅津美治郎参謀総長に詰め寄っている。特攻隊員の出征を見送る際には熱涙を注ぎ、ことあるごとに「富士山を目標として来攻する敵機群の横っ腹に向かって自ら最後には突入する」と周囲に公言もしていた。阿南の熱意もあって、陸軍航空隊の第6航空軍は海軍の連合艦隊の指揮下で統一した作戦行動をとることとなったが、沖縄戦の海軍特攻を指揮した第5航空艦隊と第6航空軍は、連合艦隊の指揮下であくまでも並立の扱いであって、形式的な陸海軍協同作戦の域を脱することはなく、また海軍の第5航空艦隊司令部が鹿屋基地と最前線にあったのに対して、陸軍の第6航空軍司令部は後方の福岡市にあって連携も不十分であり、阿南の理想通りの陸海軍統一作戦とはならなかった。
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