第2方面軍司令官とは? わかりやすく解説

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第2方面軍司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 08:24 UTC 版)

阿南惟幾」の記事における「第2方面軍司令官」の解説

1942年7月、第2方面軍司令官としてチチハル赴任、同じ満州第1方面軍司令官阿南陸軍士官学校同期で、マレー作戦名声博していた「マレーの虎」こと山下同日着任し勇将2名が軍司令官となった満州では「東の山下、北の阿南と言われ関東軍士気大い高まったという。 1943年5月陸軍大将昇進第2方面軍南方戦局不振に伴い1943年10月30日、豪北方面オーストラリア北方位置するオランダ領東インド東部)に転用された。司令部ミンダナオ島ダバオ置かれ第19軍新設第2軍指揮することになり、豪北からニューギニア西部の広い戦域担当することとなった。やがてラバウル第8方面軍指揮下で悪戦苦闘してきた第18軍第4航空軍指揮下に入ったが、敗走続き多く戦力失い疲弊しきった軍は、ダグラス・マッカーサー大将率い西太平洋連合軍飛び石作戦対抗できなくなっていた。阿南要衝ウェワク防衛するため第18軍主力移動命じたが、悪路輸送手段もない第18軍苦労して移動している途中に、マッカーサー率い連合軍ウェワク飛び越して良好な港湾があり日本軍の補給基地となっていたホーランジア日本軍飛行場があるアイタペに上陸して占領してしまった。 阿南ホーランジア奪還主張し、サルミにあった36師団主力奪還作戦投入しようとしたが、大本営南方軍制止された。阿南は度々ニューギニア戦線全力集中した反撃作戦提案したが、そのたび大本営から「消耗戦ひきずりこまれる」と制止され続けて戦闘勝てなくて、戦略勝てるはずがないいわんや戦争をや」と歯がしみすることとなった第2方面軍1944年4月15日大本営直轄から南方軍指揮下に入り阿南作戦指揮はさらに制約を受けることとなった。 やがて連合軍はきたるマリアナ諸島攻略支援のためニューギニア西部ビアク島攻略決めたビアク島には日本軍設営した飛行場があり、マリアナ攻略航空支援基地として重要と見られていた。阿南も、常々ビアク島空母10隻に値する」と主張しており、自らビアク島地形確認して地の利活かした陣地構築指示行っている。1944年5月27日第6軍 司令官ウォルター・クルーガー中将率い大部隊がビアク島上陸しビアク島の戦い始まった阿南指示によって、巧みに海岸を見下ろす台地構築され洞窟陣地は、連合軍支援艦隊の艦砲射撃にも耐えて、上陸部隊集中砲火浴びせて大損害を被らせた。その後ビアク守備隊支隊長の歩兵222連隊長葛目直幸大佐は、上陸部隊をさらに内陸引き込んで巧みに構築した陣地迎え撃つこととした。第41歩兵師団師団長ホレース・フラー少将日本軍の作戦見抜いて慎重に進撃することとしたが、マリアナ作戦迫っているのに、ビアク島攻略遅遅として進まないことで海軍に対して恥をかく考えたマッカーサークルーガー通じてフラー急かした阿南ビアク島攻撃受けたときの増援として、前々から計画していた海上機動第2旅団ビアク島への海上輸送海軍要請海軍ビアク島価値認めて6月2日左近允尚正少将率い輸送艦隊と護衛艦隊からなる部隊ビアク島増援を送る渾作戦開始された。日本艦隊接近知ったマッカーサーは、既に空母15隻を基幹とする機動部隊マリアナ向かっていたため、手元にあった重巡洋艦主力艦隊迎え撃つこととしたが、連合艦隊司令部は、渾部隊がB-24に発見され追尾されていたことで航空攻撃懸念したこと、また出撃してきた連合軍艦隊アメリカ海軍空母機動部隊誤認したことで、6月3日夜に作戦中止して部隊ソロンへ向かうよう命じた作戦順調な進行聞いて成功を疑わなかった阿南まさかの作戦中止報告を受けると激昂して渾作戦中止3日11時頃B24に発見されし為と」「煮湯を呑まされし感あり」とその日日記記述している。 その後阿南求め渾作戦継続されたが、規模縮小されたあげく輸送失敗し最後マリアナ接近するアメリカ軍機動部隊発見した連合艦隊あ号作戦好機考えて渾作戦中止した阿南海軍から渾作戦中止連絡を受けると「統帥乱れて麻の如し」と憤慨したが、最終的には「大局的にやむを得ない」と諦めて独力でビアク島救援しようと一個大隊増援送っている。ビアク島守備隊は満足な支援受けられない中で、指揮官目の巧み作戦指揮もあって敢闘クルーガーの命で早期攻略のため、日本軍陣地正面攻撃していた上陸部隊痛撃与えて長い期間足止めし、ついに6月14日苦戦続けフラーは、マッカーサー意を受けたクルーガーから上陸部隊司令官と第41歩兵師団師団長まで解任されることとなったアメリカ軍ビアク島飛行場全て利用できるようになったのは8月入ってからであり、マリアナ沖海戦間に合わせることはできなかった。しかし、ビアク守備隊敢闘甲斐なくマリアナ沖海戦日本軍完敗終わった阿南ビアク守備隊指揮官目の戦死報告を受けると「惜みても余りあり。真実ならん」「謹み非凡な奮闘勇戦感謝し冥福を祈る」と日記書いている。 その後マリアナ奪われ9月15日には、セレベス島マナド前進していた第2方面軍司令部目と鼻の先にあるモロタイ島にもマッカーサー率い連合軍侵攻しモロタイ島の戦い始まった。この戦域護る32師団主力ハルマヘラ島にあり、モロタイ島には1個大隊程度戦力しか置いておらず、たちまち島の主要部占領され天然良港急遽整備した飛行場によって連合軍レイテ作戦前線基地となった阿南はたびたびハルマヘラ島から逆上部隊送り込んでモロタイ島基地使用妨害行ったが、戦況大きな影響はなく、マッカーサーレイテ島上陸し戦局中心フィリピン移った阿南らが護る西部ニューギニアや豪北方面中央から見捨てられて、局地的な戦闘続いているが、戦局挽回などは全く望めないよう状況となっていった。 阿南は、海上輸送路が断絶して補給滞るなかで、前線将兵栄養状況を少しでも改善しようと、現地植物魚介類加工研究させたりと努力をしていたが、前線飢餓疫病阿南努力程度ではどうにもならない状況に陥っており、終戦までに多く餓死者や病死者出している。

※この「第2方面軍司令官」の解説は、「阿南惟幾」の解説の一部です。
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