第2散文稿 - 第3散文稿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 19:18 UTC 版)
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「第2散文稿 - 第3散文稿」の解説
ヴェネツィアからウィーンに戻ったワーグナーは1861年11月14日-18日に第2散文稿(B)を書き上げた。この間に友人ペーター・コルネリウスの協力を得てオーストリア帝室図書館でヨハン・クリストフ・ヴァーゲンザイル(de:Johann Christoph Wagenseil)の『ニュルンベルク年代記』(1697年)から「いにしえの12人のマイスターたち」、「タブラトゥーア」、「誤りと罰則」、「歌唱席」、「マイスターの調べの一覧」(これらについてはマイスタージンガーの項を参照のこと)についての抜き書きを第2散文稿(B)に収めた。また、E.T.A.ホフマンの『樽屋の親方マルティンと徒弟たち』など16世紀ニュルンベルクを題材にした小説や劇作も参考にしている。 第3散文稿(C)は第2散文稿(B)を浄書したもので、11月19日にショット社に送られた。12月3日にマインツのショット社で朗読会を開き、草稿を披露したワーグナーはパリに向かった。 第2散文稿(B)ではザックスを取り巻く登場人物名はほとんど現行版と異なっており、マイスターたちの固有名はまだ付けられていない。第3散文稿(C)では娘エファ、乳母マクダレーネの名前が現行版どおりとなるが、若い騎士はコンラート、市書記はファイト・ハンスリヒ、金細工師はトーマス・ボークラーとなっている。 第2散文稿(B)と第3散文稿(C)では大筋に差はないが、第3散文稿(C)には第1幕のボークラー(後のポークナー)の演説や、ザックスの二つのモノローグが加わり、ザックスが書記ハンスリヒ(同ベックメッサー)のセレナーデにハンマーを打つことで記録係の技を学ぶという理由付けが加わるなど、現行版に近づいている。ただし、第3幕のコンラート(同ヴァルター)は夢に見た内容を歌う現行版とは異なり、眠れぬ夜に気持ちを鎮めるために作曲したことになっている。
※この「第2散文稿 - 第3散文稿」の解説は、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の解説の一部です。
「第2散文稿 - 第3散文稿」を含む「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事については、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の概要を参照ください。
- 第2散文稿 - 第3散文稿のページへのリンク