第2方面軍の新設
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「ニューギニアの戦い」の記事における「第2方面軍の新設」の解説
南東方面(ソロモン諸島と東部ニューギニア)の戦況が悪化する中、日本軍は豪北(オーストラリアの北側)方面の防衛体制を強化するため、1943年10月30日に第2方面軍を新設した(それまで豪北方面は南方軍が担当)。第2方面軍は満州のチチハルにあったものを転用し、軍司令官も阿南惟幾大将がそのまま発令され、司令部はミンダナオ島のダバオに置かれた(1944年4月26日にセレベス島のメナドに移動)。第2方面軍はこれまで豪北のバンダ海、チモール方面で作戦を行ってきた第19軍と新設の第2軍を指揮することになり、西部ニューギニア(東経140°(ホーランジアの少し西)以西)は第2軍の担当とされた。第2軍司令部も満州から転用されたが、司令官には豊嶋房太郎中将が新任され、豊嶋中将は12月1日にマノクワリに到着した。第2軍に配属される第36師団(北支から転属)は12月~翌年1月にサルミに到着した。到着後の最大の任務は飛行場の建設であった。東部ニューギニアの第18軍と第4航空軍はラバウルの第8方面軍からの指揮が困難になったため、1944年3月25日に第2方面軍の指揮下に編入された。第36師団に続いて派遣する部隊の選定はマリアナ・パラオ方面の情勢が緊迫する中で二転三転し、最終的に派遣された主要部隊は第35師団(北支から転属)と海上機動第2旅団(満州で編成)となった。しかし、これらの部隊はニューギニア方面に向かう途中でアメリカ軍潜水艦の攻撃で、戦地到着前に戦力の多くを喪失した(竹一船団の遭難(4月26日と5月6日)、海上機動第2旅団の遭難(5月7日))。制空権・制海権がなく船舶も不足する中での輸送は困難を極め、これらの部隊がニューギニアの西端のソロンやその東方のマノクワリに到着したのは1944年5月下旬~6月上旬であった。
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