第2方面軍の新設とは? わかりやすく解説

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第2方面軍の新設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)

ニューギニアの戦い」の記事における「第2方面軍の新設」の解説

南東方面ソロモン諸島東部ニューギニア)の戦況悪化する中、日本軍は豪北(オーストラリア北側方面防衛体制強化するため、1943年10月30日第2方面軍新設した(それまで北方面南方軍担当)。第2方面軍満州チチハルにあったものを転用し軍司令官阿南惟幾大将そのまま発令され司令部ミンダナオ島ダバオ置かれた(1944年4月26日セレベス島メナド移動)。第2方面軍これまで豪北のバンダ海チモール方面作戦行ってきた第19軍新設第2軍指揮することになり、西部ニューギニア東経140°(ホーランジアの少し西)以西)は第2軍担当とされた。第2軍司令部満州から転用されたが、司令官には豊嶋房太郎中将新任され、豊嶋中将12月1日マノクワリ到着した第2軍配属される36師団北支から転属)は12月翌年1月にサルミに到着した到着後の最大任務飛行場の建設であった東部ニューギニア第18軍第4航空軍ラバウル第8方面軍からの指揮困難になったため、1944年3月25日第2方面軍指揮下に編入された。第36師団続いて派遣する部隊選定はマリアナ・パラオ方面情勢緊迫する中で二転三転し、最終的に派遣され主要部隊第35師団北支から転属)と海上機動第2旅団満州編成となった。しかし、これらの部隊ニューギニア方面に向かう途中でアメリカ軍潜水艦攻撃で、戦地到着前に戦力多く喪失した竹一船団遭難4月26日5月6日)、海上機動第2旅団遭難5月7日))。制空権制海権がなく船舶不足する中での輸送は困難を極め、これらの部隊ニューギニア西端ソロンやその東方マノクワリ到着したのは1944年5月下旬6月上旬であった

※この「第2方面軍の新設」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
「第2方面軍の新設」を含む「ニューギニアの戦い」の記事については、「ニューギニアの戦い」の概要を参照ください。

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