第2救援隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:38 UTC 版)
スコットが戻ってきたときにディスカバリーが氷から解放されていることを期待していたが、氷はきつく張ったままだった。氷を鋸で切る作業が始まったが、12日間働いた後で、長さ450フィート (140 m) の2本の平行線が切られただけであり、船の位置は氷の無い海まで20マイル (32 km) だった。1904年1月5日、救援船のモーニングが戻ってきた。この時は2番艦のテラノバも連れてきた。コルベックは海軍本部からのはっきりした指示書を携行しており、もしディスカバリーが然るべき日付までに解放されないのであれば、それを放棄し、救援船2隻で戻ってくることとされていた。この最後通牒は、遠征隊の金庫が空だったので、2回目の救援船派遣の費用についてはマーカムが財務省に依存していたことの結果だった。海軍本部は自分達の条件でのみ金を払うつもりだった。3人の船長の間で合意された最終日限は2月25日であり、まだハットポイントで固く氷に閉ざされているディスカバリーまで救援船が届くのは、時間との戦いになった。スコットは予防処置としてその科学的標本類を他の船に移し始めた。氷を割るために爆薬が使われ、のこぎり隊も作業を再開した。救援船が近付くことができていたものの、1月末の時点でディスカバリーは氷に閉ざされたままであり、救援船まではまだ2マイル (3 km) あった。2月10日、スコットはディスカバリーを放棄することに同意したが、2月14日に残っていた氷の大半が突然崩壊し、モーニングとテラノバがやっとディスカバリーの傍まで到達できた。2月16日、最後の爆発物で残りの氷を除去し、翌日一時的に浅瀬に乗り上げたときに脱出した後、ディスカバリーはニュージーランドへの帰りの航海を始めた。
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