帰りの航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:47 UTC 版)
ホプキンスとその艦隊は2週間ナッソーに留まり、残っていた38樽の火薬を含め、艦船に合わせられるだけの武器を積み込んだ。地元のスループ船であるエンデバーには物資の幾らかを積んで運ばせるために徴用した。ブラウン知事は、反乱軍が占領している間にその士官達が貯蔵していた酒の大半を飲んでしまったことに苦情を言い、逮捕されてアルフレッドに連れて行かれるときは、「処刑台に向かう重罪犯人」のように鎖に繋がれたとも記していた。 アメリカ軍がナッソーに居る間にフライが到着した。その艦長はフライとホーネットの艤装が縺れ合い、その結果ホーネットが大きな損傷を受けたと報告した。3月17日、艦隊はブラウン知事やその他役人を捕虜として、ロードアイランドのニューポート沖にあるブロック島海峡に向けて出航した。帰りの航海は艦隊がロングアイランドの水域に達するまで平穏に進んだ。4月4日にはイギリス海軍のHMSホークと遭遇してこれを拿捕し、翌日には多くの武器や火薬などを積んでいたボルトンを拿捕した。4月6日、イギリス海軍の武装が強固な6等艦であるHMSグラスゴーと出逢ったときは抵抗にあった。この時の海戦では、無勢のグラスゴーがうまく拿捕を免れ、アメリカ艦隊はカボーが大破し、その艦長でホプキンスの息子であるジョン・バーローズ・ホプキンスに負傷を負わせ、その他11人を戦死または負傷させた。 艦隊は4月8日にコネチカットのニューロンドンに入港した。
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