飛び石作戦と第18軍の遊兵化とは? わかりやすく解説

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飛び石作戦と第18軍の遊兵化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 22:02 UTC 版)

アイタペの戦い」の記事における「飛び石作戦と第18軍の遊兵化」の解説

日本陸軍第18軍司令官安達二十三中将)は、ニューギニア東部ウェワク地区に、指揮下の3個師団全て初め集結し連合軍進攻迎撃する態勢整えつつあった。ところがフィリピン目指し西進する連合軍1944年4月飛び石作戦ウェワク放置してウェワクの西約350Kmのホーランジア進攻した(ホーランジアの戦い)。同時にホーランジアウェワクの間のアイタペ(ウェワクの西約200Km)にも連合軍上陸し陸軍2000人と海軍200人の日本軍守備隊壊滅させた。第18軍は、連合軍後方取り残され戦略的な存在価値を失うこととなった。 そこで安達中将は、アイタペを攻撃して連合軍のさらに西への進撃妨害することを目的とした作戦計画し計画は猛作戦もうさくせん)と命名された。安達直属上司である第2方面軍司令官阿南惟幾大将はこの計画支持した。これに対して大本営南方軍第18軍現地持久によって戦力温存することを期待しており、6月20日には、大本営第18軍第2方面軍指揮下から南方軍直属移し、「東部ニューギニア方面の要域に於いて持久策し以って全般作戦遂行容易ならしむべし」と命じて積極行動停止促した。ところが、補給途絶えたウェワク地区では日本軍54000人(インド人部隊などを含む)と現地人15000人という人口を養うことは不可能と判断され備蓄食料定量の1/4支給でも2カ月分しかなかった。こうした状況から第18軍は、激しさを増す連合軍の反攻作戦牽制し全般的戦局影響与えるためにも、絶望的な状況にもかかわらず食料枯渇する前に敢えてアイタペ攻撃実行することを決定した第18軍編制上は3個師団有したが、実戦力ははるかに低く作戦成功当初から困難と予想されていた。第51師団ビスマルク海海戦ラエ戦いで第20師団フィンシュハーフェンの戦い損耗し、日常的な空襲艦砲射撃による消耗もあって、一定の戦闘能力保持しているのは第41師団一部のみであった兵士はみな骨と皮栄養失調者で、軍服擦り切れ軍靴破れ加えてほぼ全員マラリア赤痢既往症であった

※この「飛び石作戦と第18軍の遊兵化」の解説は、「アイタペの戦い」の解説の一部です。
「飛び石作戦と第18軍の遊兵化」を含む「アイタペの戦い」の記事については、「アイタペの戦い」の概要を参照ください。

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