左近允尚正とは? わかりやすく解説

左近允尚正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 23:06 UTC 版)

左近允 さこんじょう 尚正 なおまさ
生誕 1890年6月6日
鹿児島県
死没 (1948-01-21) 1948年1月21日(57歳没)
香港スタンレー監獄
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1912年 - 1946年
最終階級 海軍中将
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左近允 尚正(さこんじょう なおまさ、1890年明治23年)6月6日 - 1948年昭和23年)1月21日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将ビハール号事件におけるBC級戦犯として絞首刑に処された。

経歴

1890年6月6日、鹿児島県逓信省官吏の父・左近允尚儀の息子として生まれる。1909年9月、海兵40期に入学。同期の寺岡謹平によれば、左近允は「豪壮、恬淡、真に薩摩隼人の典型」であったという。1912年7月、海兵40期を卒業し、少尉候補生になる。1913年12月、少尉に任官。1941年12月、太平洋戦争開始。左近允は当時タイ王国大使館付武官であった。

1943年9月、第二南遣艦隊第16戦隊司令官に就任。

1944年3月、サ第一号作戦を指揮。作戦名称は左近允の頭文字を取って呼称が定められた[1]。第16戦隊の指揮下に入っていた重巡洋艦利根艦長黛治夫大佐)に対し、同艦がインド洋でイギリスの商船「ビハール号」を撃沈した際に得た捕虜の殺害を命じた。この事件は戦後BC級戦犯として裁かれた(後述)。

1944年10月、海軍中将に進級。12月、支那方面艦隊参謀長に就任。1945年8月、終戦。1946年6月、予備役

1947年、イギリス軍香港裁判において、サ第一号作戦時の捕虜殺害の件で、第16戦隊司令官だった左近允と「利根」艦長だった黛治夫が被告人として起訴された。1947年10月29日、左近允は絞首刑、黛は禁錮7年の判決が宣告された。1948年1月21日、左近允はイギリス軍により植民地香港のスタンレー監獄で絞首刑に処され死去。辞世の句は「絞首台何のその 敵を見て立つ艦橋ぞ」であった。

捕虜殺害については、黛が指揮する「利根」が1944年3月18日に左近允が指揮する第16戦隊を脱し第7戦隊に復帰するよう命じられたため、シンガポールに向い、その途中に黛が実施した。左近允は「自分が命令したのは作戦中のことであり、作戦後のことは命令していない」と主張し、黛は「左近允司令官の命令で殺害した」と主張した[2]

根拠は不明だが、捕虜殺害は南西方面艦隊司令長官高須四郎大将の命令であり、病没していた高須の代わりに次位の左近允が責任を取らされたとする意見もある[3]

左近允の子供には、長男に正章(海兵68期、昭和19年10月、駆逐艦島風で戦死)、次男に尚敏(72期、戦後は海上自衛隊に入り海将)がいる。

栄典

脚注

  1. ^ 戦史叢書54 南西方面海軍作戦―第二段作戦以降 328頁
  2. ^ 岩川隆『孤島の土となるとも BC級戦犯裁判』講談社239頁
  3. ^ 青山淳平『海は語らない ビハール号事件と戦犯裁判』光人社NF文庫
  4. ^ 官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
  5. ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。

参考文献

  • 青山淳平『海は語らない ビハール号事件と戦犯裁判』(光人社、2006年) ISBN 4-7698-1311-2
  • 石丸法明「帝国海軍の污点「捕虜処刑事件」は何故起きた インド洋「サ号作戦」の真実」
潮書房『丸』2005年4月号 No.708 p229~p257

左近允尚正(海兵40期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「左近允尚正(海兵40期)」の解説

泰王国大使館付武官となる。終戦時海軍中将

※この「左近允尚正(海兵40期)」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
「左近允尚正(海兵40期)」を含む「駐在武官」の記事については、「駐在武官」の概要を参照ください。

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