第十六戦隊とは? わかりやすく解説

第十六戦隊 (第二、第三次)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:37 UTC 版)

青葉 (重巡洋艦)」の記事における「第十六戦隊 (第二第三次)」の解説

1943年昭和18年11月25日第一南遣艦隊・第十六戦隊に編入された。12月15日青葉は呉を出撃マニラ経て12月24日シンガポール進出した速力落ちていた事もあって同方面輸送任務従事した1944年昭和19年2月27日シンガポール出撃する3月上旬、第十六戦隊旗艦青葉(同戦隊司令官左近允尚正少将)は、指揮下の重巡洋艦利根艦長黛治夫大佐)、重巡筑摩艦長則満宰次大佐と共にインド洋通商破壊作戦従事した。この時、利根撃沈したイギリス商船ビハール号の捕虜処刑問題巡ってビハール号事件発生した3月15日ジャカルタ入港して一号作戦部隊解散した4月23日触雷して沈没した駆逐艦天霧救助作業従事した24日タラカン入港して天霧乗組員揚陸した。 詳細は「渾作戦」を参照 6月上旬青葉十六戦隊旗艦として渾作戦参加する軽巡鬼怒第27駆逐隊時雨五月雨)等と行動を共にした。7月25日リンガ泊地進出以後訓練従事する10月中旬以降捷号作戦レイテ沖海戦)では当初日本軍第一遊撃部隊通称栗田艦隊)に所属していたが、第二遊撃部隊編成替えとなり、第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送命じられた。10月21日リンガ泊地出港する10月23日青葉ルソン島西方アメリカ潜水艦ブリーム (USS Bream, SS-243) の雷撃大破した右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した。この状態で鬼怒曳航され、マニラ湾入港する。その翌日にもアメリカ軍空母艦載機による攻撃受けた同地での応急修理により5ノット航行が可能となり、レイテ沖海戦損傷していた重巡熊野と共に本土回航命じられた。11月6日重巡2隻(青葉熊野)及びマタ31船団サンタクルーズ出港する同日午前中に熊野アメリカ潜水艦雷撃大破され、青葉熊野に対して『われ曳航能力なし』と伝達し熊野残置して内地向かった11月25日熊野サンタクルーズ湾でアメリカ軍機動部隊艦載機攻撃受けて撃沈された。12月12日青葉はかろうじて呉軍港に帰投した。

※この「第十六戦隊 (第二、第三次)」の解説は、「青葉 (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「第十六戦隊 (第二、第三次)」を含む「青葉 (重巡洋艦)」の記事については、「青葉 (重巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第十六戦隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第十六戦隊」の関連用語

第十六戦隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第十六戦隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの青葉 (重巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS