第一遊撃部隊とは? わかりやすく解説

第一遊撃部隊(第二艦隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 13:09 UTC 版)

捷号作戦」の記事における「第一遊撃部隊(第二艦隊)」の解説

「あ」号作戦終えて6月24日内地帰投した第二艦隊は、直ち次作戦に向けて急速整備開始した。同部隊整備並行して対空兵装増強が行われ、7月2日までに記録のある艦だけで以下の艦艇に25mm対空機銃追加された。 戦艦大和15挺、長門76挺、金剛60重巡洋艦高雄34挺、摩耶27挺、鈴谷37挺、利根37軽巡洋艦能代20駆逐艦清霜14挺(この他13mm機銃も4挺追加一方艦隊参謀長小柳冨次少将上京し次期作戦向けて準備如何にするか聞くべく大本営向かった。しかし、あ号作戦大敗直後中央混乱最中であり、具体構想聞くことはできず、ただ嶋田繁太郎軍令部総長より「内地にある燃料乏しいので南方リンガ泊地向かい燃料豊富なそこで錬成励み次作戦に向けて準備をする」という話を聞いたけだった小柳引き続き横須賀連合艦隊司令部のある軽巡洋艦大淀向かい同じく次期作戦具体構想聞こうとしたが、これまた明確な回答得られなかった。なおこの時小柳艦隊旗艦愛宕から大和変更したい旨の希望述べたが、賛同を得ることはできなかった。旗艦変更問題に関しては、第二艦隊の上司令部である第一機動艦隊でも首席参謀6月28日提出した連絡事項の中で「第二艦隊旗艦武蔵型として第一戦隊を直率とし、第四戦隊次席指揮官を置く」よう要望しているが、これも連合艦隊却下している。 6月28日第二艦隊第一機動艦隊司令部より7月5・6日に陸軍部隊搭載してシンガポール向かいその後リンガ泊地訓練実施しつつ待機するよう内意受けた先発し第五戦隊橋本信太郎少将指揮)の重巡洋艦妙高羽黒駆逐艦秋霜早霜が、あ号作戦での損傷修理もせぬまま緊急の物資搭載したうえで6月30日出撃7月4日マニラ8日ザンボアンガ寄港したうえで12日シンガポール到着物資揚陸損傷修理行った主力甲部隊乙部隊の二手別れてシンガポールに向かうこととしたが、修理の手間取った戦艦榛名油槽船護衛任務中で内地向かっている第32駆逐隊藤波玉波)、補給部隊護衛控え第十戦隊所属朝雲浦風第四戦隊摩耶内地残留した甲部隊第四戦隊摩耶欠)、第一戦隊(長門欠)、第七戦隊第二水雷戦隊二十七駆・三十一駆・島風・浜波) 乙部第三戦隊(榛名欠)、長門最上第十戦隊朝雲浦風欠) 両部隊は7月9日出撃10日沖縄寄港して揚陸開始先に終えた甲部隊同日19時には出撃16日にはマラッカ海峡入り口到着し第一戦隊と駆逐艦時雨五月雨島風リンガ泊地に、残りシンガポール向かった乙部隊は沖縄での揚陸終えた12日出撃マニラへ向かう。17日にはマニラ出撃20日にはリンガ泊地到着した内地残留組それぞれの役割終え次第リンガ泊地向かい第32駆逐隊7月26日榛名及び護衛の第4駆逐隊8月2127日摩耶朝雲浦風7月23日それぞれ泊地到着した以後部隊次期作戦向けて訓練開始する1944年7月30日連合艦隊司令部は「八月一日聯合艦隊兵力部署改定 第一遊撃部隊指揮官第二艦隊司令長官 兵力第二艦隊第十戦隊一部欠)、第十六戦隊秋津洲」と内報発した31日第十六戦隊編入取りやめとなったが、他は発動された。8月1日旗艦大淀にて内地在泊の各部隊司令官参謀長、各艦長らを集めて作戦会議開いたが、第一遊撃部隊はリンガ泊地にあり参加できなかった。このため連合艦隊参謀神重徳軍令部参謀榎尾義男マニラ飛び南西方面艦隊司令部にて司令長官三川軍一下司令部要員、第一遊撃部隊からも参謀長小柳冨次作戦参謀大谷藤之助マニラまで来て8月10日会議行った小柳は、第一遊撃部隊を船団攻撃のためレイテ湾突入させるという作戦聞き、「この計画は、敵主力との撃滅放棄して、敵輸送船団作戦目標としているがこれは戦理の常道から外れた奇道である。我々は飽くまで敵主力撃滅をもって第1目標となすべきと考えているのだが。」と主張した。これに対し、神は「敵主力撃滅には、機動部隊航空兵力が必要です。しかしサイパン攻防戦大打撃受けた機動部隊航空隊再建には、少なくとも半年日時が必要です。いまは、その余裕が全くありません。同時に敵が次の目標としているのがフィリピンであることは明白です。そこでフィリピン基地航空兵力と呼応して、第一遊撃部隊の全力をもって上陸船団撃滅していただきたい。それがこの作戦主眼なのです。」と答えたまた、神は「フィリピン取られたら本土南方遮断され日本干上がってしまいます」「したがって、この一戦聯合艦隊をすり潰しても、フィリピン確保できるのなら、あえて悔いはありません。国破れてなんの艦隊やある。殴り込みあるのみです。これが長官のご決心です。」と発言した。さらに小柳が「敵主力との決戦なくして突入作戦実現するなどということは不可能です。よって、栗田艦隊ご命令どおり輸送船団目指して敵港湾突進するが、万一途中で主力部隊対立し二者いずれかを選ぶべきやという場合輸送船団をすてて、敵主力撃滅専念します差支えありませんか?」と確認し、神は「差し支えありません。」と答えた。 翌11日まで南西方面艦隊司令部員と打ち合わせが行われ、リンガ泊地帰着翌日に第一遊撃部隊所属司令官艦長らに作戦説明が行われた。従来方針から大きく異な水上艦艇による輸送部隊攻撃の作戦現場指揮官達は唖然とし、不満、非難の声がでたが、それを抑えて泊地内に突入して攻撃することを念頭に置いた訓練計画作成小柳陳述では下記の5種に区分して実施した述べている。 湾内投錨艦船への攻撃法 夜戦訓練 対空戦闘訓練 電探射撃訓練 夜戦での星弾使用法 第一戦隊司令宇垣纏少将は、自身日誌戦藻録9月20日記述で、自身座乗する戦艦大和小柳参謀長山本祐二参謀が来艦したので、自身意見として「輸送船団攻撃するよりも敵主力部隊との決戦模索すべき」と述べた記述している。他にも、サマール沖海戦当日記述に、栗田長官が米機動部隊への追撃取りやめてレイテ湾への突入再開する指令出した事を「何を考えたか」と記述をしている。利根艦長として参加した黛治夫は、栗田司令部25日昼にレイテ湾突入取りやめて敵主力部隊攻撃に向かう決断をしたことを「当然である」と戦後述べている。 9月10日第一機動艦隊司令長官意見具申受けて第二遊撃部隊配備予定だった戦艦扶桑山城新たに第二戦隊を再編し、第一遊撃部隊に配置換えすることになり、司令官西村祥治中将任命された。同戦隊は第17駆逐隊護衛の下10月4日リンガ泊地到着し第一遊撃部隊と合流したこの際第一戦隊の長門第二戦隊への異動決められていたが、第一遊撃部隊や第一戦隊からの反対があり、これに関して従来通りのままとなった

※この「第一遊撃部隊(第二艦隊)」の解説は、「捷号作戦」の解説の一部です。
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