残留組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:17 UTC 版)
大使館に残留した河原酸一郎参事官以下少数の大使館員(2人のドイツ人女性タイピストを含む)と民間人は、地下壕に前もって備蓄されていた100人が2か月間暮らせるだけの食料と地下に掘られた井戸、ローソクなどを頼りに籠城を続けたが、ベルリン陥落の危機が迫る中、4月22日には機密書類などを廃棄した。その後水と電気が止まったためにローソクと備蓄食料を頼りに生活せざるを得なくなった。 その後ソ連軍が入城すると、5月2日にはロシア語ができる大使館員らの制止を無視して、日ソ中立条約により中立関係にある大使館に押し入り、大使館員の時計や食料などを強奪するに至った。これに対して残留していた大使館員がソ連軍司令部に抗議をしたため、後に大使館入り口に警備兵が立つことになった。しかしその後もソ連軍は、司令部に訪れた日本大使館員を数日間監禁し、リッベントロップ外相の行方などについて尋問するという国際法に違反する行為を行った。 さらにドイツの降伏を受けて、イギリス軍やアメリカ軍がベルリンに入城してくることが決まったため、5月18日には、全ての残留大使館関係者とベルリン郊外のソ連占領区域に避難していた民間人に対して退去が命じられ、20日にはモスクワ経由でシベリア鉄道で帰国させられた。なおこれには、スウェーデンに在留していた日本人も合流した。
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