附属劇団の分裂
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1928年(昭和3年)12月に小山内が急逝した後、附属劇団内部で土方を排除する動きが活発になった。1929年(昭和4年)3月25日には土方を支持する丸山定夫、山本安英、薄田研二、伊藤晃一、高橋豊子、細川知歌子の6人が脱退し、同年4月には土方与志、丸山定夫らが新築地劇団を結成。同年5月3日に築地小劇場で第1回公演を開催。演目は、『生ける人形』(片岡鉄兵原作、高田保脚本、土方与志演出、丸山定夫、沢村貞子他出演)、『飛ぶ唄』(金子洋文作、薄田研二、山本安英、細川ちか子出演)。新築地劇団は1931年(昭和6年)に日本プロレタリア演劇同盟に加盟し、東京左翼劇場とともに、築地小劇場を拠点したプロレタリア演劇運動を展開した。 一方、分裂の際に築地小劇場に残ったメンバー(残留組)は、1930年(昭和5年)8月に解散し、劇団新東京になり、1932年(昭和7年)、これが解散すると、友田恭助、田村秋子が築地座を結成した。
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