作戦発動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 13:09 UTC 版)
詳細は「レイテ沖海戦」、「レイテ島の戦い」、および「フィリピンの戦い (1944-1945年)」を参照 この作戦は日本軍の残存兵力のほぼ全てを投じた作戦であるにも関わらず、様々な不備が重なり大敗を喫した。 満を持して行われた捷一号作戦であったが、作戦の中核戦力である基地航空部隊(第五第六基地航空部隊)が共にダバオ誤報事件や台湾沖航空戦で殆ど戦力をすり潰した状態での発令となってしまい、作戦の根幹が既に崩壊していたが、連合艦隊は殆ど変更を指示することなく発令した結果、まず基地航空部隊による敵機動部隊の殲滅は失敗し、24日に軽空母プリンストンを撃沈、25日に初投入された神風特別攻撃隊により護送空母セント・ローを撃沈したのみに終わった。 敵機動部隊を北方に誘致し基地航空部隊と共にこれを撃滅する役目を負った機動部隊本隊は、台湾沖航空戦に錬成していた航空隊を提供し、捷一号作戦にそれらを呼び戻すことができず錬成が遅れていた航空隊から空母機動戦に耐えられる乗員らをかき集めて対応しようとしたが、作戦予定の半数にも満たない100機余の航空機しか集まらず、そのため空母機動部隊の打撃力が不足し殆ど囮のような行動となってしまい、結果空母4隻は全滅し艦艇の半数近くを失ってしまった。また誘致自体は成功したがタイミングを逸し、第一遊撃部隊は24日日中に5度にわたる空襲を受け同部隊の中核戦力の一つであった戦艦武蔵が沈み、他の艦艇も損傷を被ってしまった。 第二遊撃部隊は元々機動部隊本隊の前衛として同隊を守る役割だったが台湾沖航空戦の残敵掃討に出撃させた事が裏目に出て、これも機動部隊本隊に再合流することができず、新たな役割も二転三転し、結局レイテ湾への突入となるが所属が第一遊撃部隊の指揮下でなく南西方面部隊の指揮下のままとされたため、同じく突入する第一遊撃部隊や同第三部隊(通称西村艦隊)と連携がとれないまま別個での進軍となり、殆ど戦局に寄与せぬまま撤退した。 第一遊撃部隊は、基地航空部隊のアメリカ軍機動部隊撃滅という間接支援を受けながら、上陸地点へ向かう予定だったが、撃滅できなかったことと機動部隊本隊による北方誘致が遅れたことで結局空襲を受けることになり、上記のように損害を受けてしまった。更に空襲の激しさから一時的に反転したことで、別路を進軍する第三部隊との連携は不可能となり、同部隊は単独でのレイテ湾突入を実施し、アメリカ軍艦隊の反撃を受けて壊滅した。第一遊撃部隊自身も25日午前にアメリカ軍護送空母群の1つと交戦し損害を与えたが、これを「正規空母を含む機動部隊の一群」と誤認し、それを撃滅したと考えた。更に交戦後よりアメリカ軍機による空襲が再開し艦隊が航空機の脅威に晒されたことと、機動部隊本隊からの電報が殆どなく誘致に成功したか不明だったことから、北方誘致は失敗し、アメリカ軍機動部隊はまだ付近にいると考えてしまう。更に友軍からの敵機動部隊発見の報告(ヤキ1カ電)もあり、第一遊撃部隊は反転北上し機動部隊攻撃に向かい、実質的に捷一号作戦は失敗に終わった 一方陸軍は当初の決戦地をルソン島としていたが、台湾沖航空戦の戦果を信じた参謀本部の命令により急遽レイテ島での決戦に変更された。このためルソン島の兵力の少なくない数をレイテ島に輸送することとなるが、機動部隊を殲滅できていない状態での輸送作戦は無謀であり、実際途中に輸送船の多くが撃沈された(詳細は多号作戦、レイテ島の戦い)。それでも第一遊撃部隊などの残存艦艇を集めて護衛任務を行ったことである程度の輸送には成功している。しかしそれでも「焼石に水」でしかなく、その護衛戦力も大半は一連の輸送作戦で壊滅してしまった。陸軍の基地航空隊も上記のように現地部隊間で機動部隊攻撃を優先したため上陸部隊への攻撃は散発的なもので終わった。 レイテ島の戦いは1945年1月初頭まで続き、1月9日にはルソン島にも連合軍が上陸。守備戦力をレイテ島に投入して減少していた日本軍は装備や食料を失いながらも主にゲリラ戦で抵抗したが、制空権を手にし、重装備且つ情報と補給の行き届いたアメリカ軍の前ではまともな抵抗は行えず、加えてフィリピン人の反乱軍や現地民族の襲撃に遭い大半が全滅した(マニラの戦い他)。
※この「作戦発動」の解説は、「捷号作戦」の解説の一部です。
「作戦発動」を含む「捷号作戦」の記事については、「捷号作戦」の概要を参照ください。
作戦発動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 19:31 UTC 版)
1942年(昭和17年)2月中旬のマカッサル海峡は天候不順だったため航空隊の活動が制限され、蘭印部隊指揮官高橋中将は2月16日にバリ島作戦を1日延期した。17日も天候不良で、陸上攻撃機は攻撃を中止した。待ち切れなくなった久保少将は2月18日攻略発動(19日泊地進入)を決定、作戦を開始した。 2月18日午前1時、陸軍支隊を乗せた輸送船2隻(笹子丸、相模丸)は第8駆逐隊(駆逐隊司令阿部俊雄大佐)所属の駆逐艦3隻(大潮〈司令駆逐艦〉、朝潮、満潮)に護衛され、マカッサル泊地を出航した。マカッサルの讃岐丸水上機や、第二十三航空戦隊(バリクパパン)の戦闘機が上空援護を担当した。途中で対潜掃蕩のため先行していた駆逐艦荒潮と合流し18日2300時バリ島サヌール泊地着、2月19日0015に同泊地へ進入して上陸を開始した。19日の日の出は午前7時22分であった。上陸に対して抵抗はなく、未明には日本軍金村支隊がデンパッサル兵営を占領、午前11時30分に飛行場を占領した。陸上部隊が順調に戦闘を続ける中、停泊中の艦艇は連合軍の空襲を受けた。小数機による反覆攻撃で相模丸が被弾、片舷航行可能状態となる。笹子丸も小破した。1630、大潮は敵潜水艦から雷撃されたが回避した。1700、輸送船の揚陸はほとんど終了、空襲を避けるため3隻(大潮、朝潮、笹子丸)は一時ロンボック海峡北側へ退避、損傷した相模丸は第8駆逐隊第2小隊(満潮、荒潮)に護衛されてマカッサルへの退避を開始した。 一方の連合軍は、哨戒中だったイギリスの潜水艦トルーアントとアメリカの潜水艦シーウルフにより、日本軍の攻略船団を発見していた。2月17日、連合軍海軍部隊指揮官ヘルフリッツ蘭海軍中将は、カレル・ドールマン少将に日本軍輸送船団撃退を命じた。だが、ドールマン少将麾下の艦隊は2月15日のガスパル海峡空襲(空母龍驤の艦載機および基地航空隊の攻撃によるもの)によって撃退されてきたばかりであり、各地に分散していた。2月17日には陸攻部隊が商船スロエト・ヴァン・ベレルを、龍驤艦攻10機がオランダの駆逐艦ヴァン・ネスを撃沈していた。やむなくドールマン少将はジャワ島チラチャップの艦艇で第一攻撃隊(デロイテル、ジャワ、ピートハイン、ジョン・D・フォード、ポープ)、ジャワ島スラバヤのオランダの軽巡トロンプと、スマトラ島タンジュンカランの駆逐艦4隻で第二攻撃部隊(トロンプ、スチュワート、パロット、エドワーズ、ピルスベリー)を編成し、第一攻撃部隊と第二攻撃部隊は各個にバリ島の日本軍輸送船団攻撃を目指すことになった。また、第三部隊としてオランダの魚雷艇も出撃することとなった。米駆逐艦4隻は2月17日-18日にタンジュンカランを出港してジャワ海を東進、トロンプと合流後、2月19日夜にバリ海峡を南下してバリ島南方へ進出した。ドールマン少将率いる軽巡2隻、米駆逐艦2隻、蘭駆逐艦2隻は2月18日2330にジャワ島南部チラチャップ(英語版)を出撃、東進してバリ島を目指した。 すなわち本海戦に参加したABDA艦隊の全艦艇は、オランダ海軍のカレル・ドールマン少将指揮下、オランダ軽巡洋艦3隻(デ・ロイテル、ジャワ、トロンプ)、駆逐艦7隻(オランダ駆逐艦〈ピートハイン(英語版)〉、アメリカ駆逐艦〈ジョン・D・フォード(英語版)、ポープ、スチュワート、パロット、ジョン・D・エドワーズ(英語版)、ピルスバリー〉)であった。
※この「作戦発動」の解説は、「バリ島沖海戦」の解説の一部です。
「作戦発動」を含む「バリ島沖海戦」の記事については、「バリ島沖海戦」の概要を参照ください。
作戦発動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 03:42 UTC 版)
「パンツァーファウスト作戦」の記事における「作戦発動」の解説
10月13日、前線のハンガリー第1軍、ハンガリー第2軍で部隊の戦線離脱が続発した。バッハ=ツェレウスキー親衛隊大将はパンツァーファウスト作戦の即時発動を進言した。報告を受けたヒトラーは、参謀総長ハインツ・グデーリアンに作戦発動を指令し、政治面の指導者としてルドルフ・ラーン(英語版)元駐伊大使をブダペストに急派した。 10月14日、ラーンがブダペストに到着し、ほぼ同時に戦車42両が到着した。またフェーゼンマイヤー特使はホルティから翌日に面会したいとの連絡を受け、グデーリアン参謀総長はヴェレシュ・ハンガリー軍参謀総長から「増援が達成されないため、第一線部隊を引き上げる」という通告を受けた。グデーリアン参謀総長はハンガリーの情勢が決定的になったとして、「15日午前10時」作戦開始を命令した。また、統帥部長ヴァルター・ヴェンク中将をブダペストに派遣し、「ハンガリー軍の命令権はドイツ陸軍総司令部のみが保有するため、ハンガリー第1軍、ハンガリー第2軍への後退命令の取り消しを命令し」、「違反の場合はドイツ軍が必要な措置をとる」という通告文を午前10時ちょうどにヴェレシュ参謀総長へ手渡すよう命令した。
※この「作戦発動」の解説は、「パンツァーファウスト作戦」の解説の一部です。
「作戦発動」を含む「パンツァーファウスト作戦」の記事については、「パンツァーファウスト作戦」の概要を参照ください。
- 作戦発動のページへのリンク