第8駆逐隊
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1931年(昭和6年)1月31日の竣工と共に、本艦は吹雪型3隻(天霧、朝霧、夕霧)で編制されていた第8駆逐隊に編入(駆逐隊司令郷田喜一郎大佐)。第8駆逐隊は定数4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)を揃えた。7月には、戦艦榛名、軽巡洋艦木曾、敷設艦厳島、第1駆逐隊(神風、野風、波風、沼風)、基地航空隊、潜水艦部隊、海軍陸戦隊等と演習を行う(演習統監大角岑生横須賀鎮守府司令長官)。 同年11月、熊本県で行われる日本陸軍特別大演習統裁のため、昭和天皇は11月8日に横須賀軍港で金剛型戦艦3番艦榛名(艦長園田実大佐)に乗艦する。正午、御召艦榛名および供奉艦の第8駆逐隊(天霧、朝霧、狭霧、夕霧)は横須賀を出発、九州に向かった。11月10日夕刻、艦隊(榛名、天霧、朝霧、狭霧、夕霧)は佐世保港外に投錨。夕張艦長原精太郎大佐や郷田大佐(第8駆逐隊司令)、天霧艦長他も榛名での晩餐に招かれている。翌11日、天皇は榛名を退艦し、佐世保に上陸して熊本に向かった。天皇は演習や阿蘇山(阿蘇神社)参拝等の行事をこなし、11月19日夕刻に鹿児島港で御召艦(榛名)に帰艦した。軽巡洋艦夕張先導のもと、榛名と供奉艦(天霧、朝霧、狭霧、夕霧)は鹿児島を出発、横須賀に向かった。11月21日午後1時30分に艦隊は横須賀へ到着、天皇は榛名を退艦した。12月1日の編制替で、狭霧は第8駆逐隊から除籍される。
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