主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 22:00 UTC 版)
1994年 関東学生ボディビル選手権 3位、全日本学生ボディビル選手権 4位 1995年 関東学生ボディビル選手権 優勝、全日本学生ボディビル選手権 優勝 1996年 関東学生ボディビル選手権 優勝、全日本学生ボディビル選手権 優勝 1998年 ジャパン・オープン選手権(ミドル級)優勝 1999年 IFBBミスター・アジア(ライト・ミドル級)4位 2000年 男子日本ボディビル選手権(ミスター日本)3位 2000年 IFBBミスター・ユニバース(ウェルター級)6位 2001年 IFBBミスター・アジア80kg以下級(ライト・ミドル級)優勝 2001年 男子日本ボディビル選手権 2位 2002年 男子日本ボディビル選手権 3位 2002年 IFBBミスター・ユニバース(ウェルター級)10位 2006年 IFBBサンフランシスコ・プロ・インヴィテイショナル 11位(プロ転向後初の入賞) 2006年 IFBBスペイン・サンタスザンナ・プロ 出場 2006年 IFBBオーストリアメンズプロ・グランプリ 12位 2006年 IFBBルーマニア・グランプリ 6位 (10位内入賞) 2006年 IFBBオランダ・グランプリ 4位 (4位入賞) 2007年 IFBBアイアンマン・プロ 7位 2007年 Atlantic City Pro 9位 2007年 IFBBサンフランシスコ・サクラメント・プロ 3位入賞(世界大会で上位3位入りを果たす) (この結果によりミスター・オリンピアの出場権を日本人として初の獲得者となる。※アジア人としては、インドのプレム・チャンドが既に出場したことがある) 2007年 アーノルドクラシック大会に招待選手として出場(これも日本人としては初) 2007年 IFBBオーストラリア・プロ 5位入賞 2007年 IFBBミスター・オリンピア 13位 2008年 Atlantic City Pro 8位 2009年 Atlantic City Pro 2位 2009年 IFBBミスター・オリンピア 9位 2010年 EUROPA SHOW OF CHAMPIONS - ORLAND 優勝(プロ転向後初の優勝) 2010年 IFBBミスター・オリンピア 10位 2011年 IFBBミスター・オリンピア 10位 2012年 IFBBミスター・オリンピア 15位 2013年 IFBBアーノルドクラシック 5位 2014年 IFBBタンパプロ212 優勝 2014年 IFBBミスター・オリンピア212 4位 2015年 IFBBアーノルドクラシック212 2位、IFBBミスター・オリンピア212 3位 2016年 IFBBアーノルドクラシック212 優勝、IFBBミスター・オリンピア212 6位、IFBBアジアグランプリ 3位 2017年 IFBBアーノルドクラシック212 6位 2018年 IFBBアーノルドクラシック 10位、IFBBアーノルドクラシックオーストラリア 5位、IFBBインディプロ 7位 2019年 IFBBダラスプロ 212 優勝、 IFBBミスター・オリンピア212 8位、IFBB Monsterzym Pro 212 優勝
※この「主な戦歴」の解説は、「山岸秀匡」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「山岸秀匡」の記事については、「山岸秀匡」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 17:59 UTC 版)
「カナージ・アングリア」の記事における「主な戦歴」の解説
1702年、コチン近海でイギリス人船員6名の乗った小型船を拿捕。 1706年、ジャンジーラーの地でシディ族を襲撃し勝利。 1710年、ムンバイ近海にてイギリス船Godolphin号との2日間にわたる戦いの末、カンデリ(英語版)島を奪取。 1712年、ウィリアム・エイズラビー(英語版)の武装ヨットを拿捕。30,000ルピーという多額の代価を受けてようやくこれを返還した。 1713年、イギリス側からカナージに10の砦の支配権が譲られた。 1717年、カンデリ(英語版)島に砲撃を行っていたイギリス船Success号をカナージが拿捕。イギリス東インド会社が60,000ルピーを支払うという条件で、カナージは和解協定に合意した。 1718年、ムンバイの港を封鎖し、解除と引き換えに金銭を得た。チャールズ・ブーン率いるイギリス軍がヴィジャイドゥルグ砦(英語版)を襲撃したものの、成果なきままムンバイへの退却を余儀なくされた。 1720年、イギリス軍が再びヴィジャイドゥルグ砦(英語版)を攻撃したが、これも失敗に終わった。 1721年、イギリス艦隊がムンバイへ到着。ポルトガル軍と連合してアリバグ(英語版)を攻撃したが、敗北に終わった。 1722年、チャウル近海にて武装ヨット4隻・その他船舶20隻からなるイギリス艦隊を襲撃。 1723年、イギリス船Eagle号およびHunter号を襲撃。 1724年、マラーター勢力とポルトガルとの間で和解協定が結ばれた。オランダ軍がヴィジャイドゥルグ砦(英語版)を襲撃したものの、敗走した。 1725年、カナージとシディ勢力の間で和解協定が結ばれた。 1729年、パルガド(英語版)砦を奪取。
※この「主な戦歴」の解説は、「カナージ・アングリア」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「カナージ・アングリア」の記事については、「カナージ・アングリア」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 10:25 UTC 版)
1967年 全日本卓球選手権大会男子優勝、男子ダブルス(河野満とペア)優勝 1968年 全日本卓球選手権大会男子優勝、男子ダブルス(河野満とペア) 1969年 世界卓球選手権(ミュンヘン)男子シングルス優勝、男子団体優勝、男子ダブルス3位(河野満とペア)、混合ダブルス3位(小和田敏子とペア)全日本卓球選手権大会、男子ダブルス優勝(長谷川信彦とペア) 1971年 世界卓球選手権シングルス準優勝、ダブルス ベスト8、団体準優勝 1972年 全日本卓球選手権大会、男子ダブルス優勝(阿部勝幸とペア) 1974年 全日本卓球選手権大会、混合ダブルス優勝(大関行江とペア) 1975年 世界卓球選手権ダブルス ベスト4、混合ダブルスベスト4、全日本卓球選手権大会、混合ダブルス優勝(大関行江とペア) 1971年名古屋世界選手権では団体戦で調子が出ず、苦手を公言していたカラカセビッチ等欧州選手の他中国選手の前陣速攻にも苦戦していたが、個人戦になると期待された長谷川、河野が敗退する中で李富栄、シュルベクの強敵を連破、17歳のステラン・ベンクソンには敗れたものの決勝に進出し、面目を保った。
※この「主な戦歴」の解説は、「伊藤繁雄」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「伊藤繁雄」の記事については、「伊藤繁雄」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:36 UTC 版)
2004年 - アテネパラリンピック 優勝 2005年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2008年 - 北京パラリンピック 優勝 2009年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2011年 - IBSA世界大会 2位 2012年 - ロンドンパラリンピック 3位 2013年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2015年 - ヨーロッパ競技大会視覚障害者部門 優勝 2015年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2016年 - リオデジャネイロパラリンピック 5位 2017年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2021年 - 東京パラリンピック 3位 (出典JudoInside.com)。
※この「主な戦歴」の解説は、「イルハム・ザキエフ」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「イルハム・ザキエフ」の記事については、「イルハム・ザキエフ」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 23:44 UTC 版)
2002年 - 全国中学校柔道大会 90kg超級 2位 2004年 - インターハイ 団体戦 5位 2005年 - インターハイ 100kg超級 3位 団体戦 3位 2011年 - IBSA 世界選手権 優勝 2012年 - ロンドンパラリンピック 優勝 2014年 - IBSA世界選手権 3位 2014年 - 2014年アジアパラ競技大会 3位 2015年 - IBSAワールドカップ 2位 2016年 - リオデジャネイロパラリンピック 3位 (出典 JudoInside.com)。
※この「主な戦歴」の解説は、「正木健人」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「正木健人」の記事については、「正木健人」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 16:24 UTC 版)
「吉田隼人 (自転車選手)」の記事における「主な戦歴」の解説
2007年 アジア自転車競技選手権大会・ジュニア部門ロードレース優勝 ツール・ド・ラビティビ 区間1勝(第5)。 2008年 ツール・ド・イラン 区間1勝(第3) 2009年 東アジア競技大会・団体ロードレース優勝。 2011年 全日本選手権U23・個人タイムトライアル 優勝 2012年、チームブリヂストン・アンカーに加入。 fr:Les Challenges Phosphatiers 3位 2013年、シマノレーシングに移籍。 ツール・ド・台湾 第7ステージ優勝、総合31位 ツアー・オブ・ジャパン 第6ステージ 3位 2014年、ツール・ド・熊野 第3ステージ3位 ツール・ド・コリア 第8ステージ 6位 2015年、マトリックス・パワータグに移籍。 全日本選手権・ロードレース 4位
※この「主な戦歴」の解説は、「吉田隼人 (自転車選手)」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「吉田隼人 (自転車選手)」の記事については、「吉田隼人 (自転車選手)」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 05:57 UTC 版)
2014年 - 2014年アジアパラ競技大会 2位 2015年 - IBSAワールドカップ 5位 2015年 - IBSAワールドゲームズ 5位 2016年 - リオデジャネイロパラリンピック 3位 2018年 - IBSAワールドカップ 優勝 2018年 - 2018年アジアパラ競技大会 3位 2018年 - IBSA柔道世界選手権 準優勝 2019年 - 東京国際視覚障害者柔道選手権 優勝 2021年 - 東京パラリンピック 5位 (出典 JudoInside.com, IBSA)。
※この「主な戦歴」の解説は、「廣瀬順子」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「廣瀬順子」の記事については、「廣瀬順子」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 07:05 UTC 版)
アテネオリンピック(2004年)女子100m背泳ぎ 4位入賞(タイム:1分01秒05) 女子200m背泳ぎ 銅メダル(タイム:2分09秒88、当時の日本記録を更新) 女子400mメドレーリレー 5位入賞(タイム4分04秒83、田中雅美・大西順子・永井奉子と共に出場) 世界水泳モントリオール大会(2005年)女子200m背泳ぎ 銅メダル(タイム:2分10秒41) ビクトリアパンパシフィック水泳選手権大会(2006年)女子200m背泳ぎ 金メダル(タイム:2分08秒86、日本新記録) 世界水泳メルボルン大会(2007年)女子100m背泳ぎ 銅メダル(タイム:1分00秒40、日本新記録) 女子200m背泳ぎ 銅メダル(タイム:2分08秒54、自身の持つ日本記録を0秒32更新) 日本選手権(2007年)女子100m背泳ぎ 優勝(タイム:1分0秒29、自身の持つ日本記録を0秒11更新) 競泳ジャパンオープン2008女子200m背泳ぎ 優勝(タイム:2分03秒24、短水路世界新記録(当時)。2008年4月11日にカースティ・コベントリーが礼子のタイムを上回る2分0秒91の短水路世界新記録を出す) 日本選手権(2008年)100m背泳ぎ予選で日本女子選手史上初の1分突破となる59秒96の日本新記録。なおこの記録は決勝で優勝した伊藤華英にあっさりと破られてしまった(59秒83)。中村は1分オーバーで2位だったがこの種目の五輪出場権を獲得。 北京オリンピック(2008年)女子100m背泳ぎ 6位(タイム:59秒72)なお予選では59秒36の日本記録を樹立した。 女子200m背泳ぎ 銅メダル(タイム:2分7秒13、日本新記録)アテネオリンピックからの2大会連続メダル獲得は女子日本水泳競技史上前畑秀子以来72年振りの快挙である。 女子400mメドレーリレー 6位入賞(タイム3分59秒54、北川麻美・加藤ゆか・上田春佳と共に出場)
※この「主な戦歴」の解説は、「中村礼子」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「中村礼子」の記事については、「中村礼子」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 03:39 UTC 版)
「ピエリック・フェドリゴ」の記事における「主な戦歴」の解説
1999年、クレディ・アグリコルとトレーニー契約。 2002年 ツール・デュ・リムザン 区間1勝(第4)。 パリ〜コレーズ 区間1勝(第3)。 2003年 ツール・ド・ラブニール 区間1勝(第6)。 2004年 ツール・デュ・リムザン 区間1勝(第2)、総合優勝。 2005年、ブイグ・テレコム(現 ヨーロッパカー)に移籍。 ショレ=ペイ・ド・ロワール 優勝。 フランス国内選手権・個人個人ロードレース 優勝。 ダンケルク4日間レース 総合優勝 2006年 ダンケルク4日間レース 区間1勝(第4)。 ツール・ド・フランス第14ステージを勝利。 ツール・デュ・リムザン 区間1勝(第1)。 2007年 ツール・デュ・リムザン総合優勝。 2008年 ダンケルク4日間レース 区間1勝(第4)、総合2位。 カタルーニャ一周 区間1勝(第3)。 8月25日に行われたGP西フランス・プルエーでは、同タイムゴールとなった、アレッサンドロ・バッランを下し優勝を果たした。 2009年 ダンケルク4日間レース 区間1勝(第5)。 ドーフィネ・リベレ 区間1勝(第6)、総合6位、山岳賞。 ツール・ド・フランス第9ステージにおいて、ステージ前半より、フランコ・ペッリツォッティと2人でダスパン峠、ツールマレー峠の二箇所の難関を含む行程を最後まで牽引。最後はペッリツォッティを降し、区間優勝を果たした。 2010年 クリテリウム・アンテルナシオナル 区間1勝(第1)、総合優勝 ツール・ド・フランス第16ステージ勝利。 2011年、FDJ(後の FDJ・ビッグマット)に移籍。 グランプリ・シクリスト・ド・モンレアル 2位 2012年 クリテリウム・アンテルナシオナル 区間1勝(第3)、総合2位 ダンケルク4日間レース 総合6位 ツール・ド・フランス第15ステージ勝利。 2013年 ツール・デュ・オー・ヴァル 総合4位 クリテリウム・アンテルナシオナル 総合8位 パリ〜カマンベール 優勝
※この「主な戦歴」の解説は、「ピエリック・フェドリゴ」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「ピエリック・フェドリゴ」の記事については、「ピエリック・フェドリゴ」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 08:01 UTC 版)
「ローラン・フィニョン」の記事における「主な戦歴」の解説
1982 ルノー・エルフ・ジタン クリテリウム・アンテルナシオナル 優勝 1983 ルノー・エルフ・ジタン ツール・ド・フランス1983 総合優勝(第21ステージ優勝) ティレーノ~アドリアティコ、クリテリウム・アンテルナシオナル、ブエルタ・ア・エスパーニャ区間優勝。 1984 ルノー(ジタン) ツール・ド・フランス1984 総合優勝(第7・16・18・20・22ステージ優勝) ジロ・デ・イタリア 総合2位(山岳賞。第20ステージ優勝) フランス 国内選手権 優勝 1986 システムU(ジタン) フレッシュ・ワロンヌ 優勝 ドーフィネ・リベレ 区間優勝 1987 システムU(ジタン) パリ~ニース 2ステージ優勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間優勝 ツール・ド・フランス1987 総合7位(第21ステージ優勝) 1988 システムU(ジタン) ミラノ~サンレモ 優勝 クリテリウム・アンテルナシオナル 区間優勝 パリ~カマンベール 優勝 1989 スーパーU(ラレー) ジロ・デ・イタリア 総合優勝(1ステージ優勝) ミラノ~サンレモ 優勝 ツール・ド・フランス1989 総合2位(敢闘賞。第18ステージ優勝。マイヨ・ジョーヌ着用期間11日(第10 - 20ステージまで。)) ロンド・ファン・ネーデルランド 総合優勝 グランプリ・デ・ナシオン 優勝 1990 カストラマ(ラレー) クリテリウム・アンテルナシオナル 優勝 1991 カストラマ(ラレー) ツール・ド・フランス1991 総合6位 1992 ゲータレード(ビアンキ) ツール・ド・フランス1992 総合23位(第11ステージ優勝) 1993 ゲータレード(ビアンキ) ルータ・メキシコ 総合優勝。
※この「主な戦歴」の解説は、「ローラン・フィニョン」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「ローラン・フィニョン」の記事については、「ローラン・フィニョン」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 09:28 UTC 版)
「時津風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「主な戦歴」の解説
スラバヤ沖海戦 - 第二水雷戦隊・第16駆逐隊に、雪風、初風、天津風とともに所属。 第二次ソロモン海戦 - 第三艦隊支隊に、空母龍驤、重巡洋艦利根、天津風と共に所属。龍驤沈没後、乗組員救助。 南太平洋海戦 - 第三艦隊(南雲機動部隊)本隊に所属。第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)、第4駆逐隊(嵐、舞風)、第16駆逐隊(初風、雪風、天津風、時津風)、第17駆逐隊(浜風)、第61駆逐隊(照月) ケ号作戦陽動上陸戦 - 警戒隊(時津風《旗艦》、黒潮、白雪)、輸送隊(浦風、浜風、江風) 第一次輸送 - 第16駆逐隊(時津風、雪風)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)、第8駆逐隊(大潮、荒潮)、第10駆逐隊(風雲、《巻雲|沈没》、夕雲、秋雲)、《巻波|小破》、舞風、江風、黒潮、白雪、文月、皐月、長月、《カビエン待機|川内》 第二次輸送 - 第16駆逐隊(時津風、雪風)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)、第8駆逐隊同上2隻、第10駆逐隊(風雲、夕雲、秋雲)、白雪、黒磯、朝雲、五月雨、《舞風|中破》、江風、皐月、長月、文月、《カビエン待機|川内》、《ショートランド待機|巻波、夕霧》 第三次輸送 - 第16駆逐隊(時津風、雪風)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、《磯風|中破》)、第8駆逐隊同上2隻、第10駆逐隊同上3隻、白雪、黒潮、朝雲、五月雨、皐月、文月、長月
※この「主な戦歴」の解説は、「時津風 (陽炎型駆逐艦)」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「時津風 (陽炎型駆逐艦)」の記事については、「時津風 (陽炎型駆逐艦)」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 02:13 UTC 版)
括弧内は風速(m/s)。+は追い風、-は向かい風。記録は当時。
※この「主な戦歴」の解説は、「山縣亮太」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「山縣亮太」の記事については、「山縣亮太」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:26 UTC 版)
1979年12月 - アフガニスタン指導者ハフィーズッラー・アミーンの大統領官邸を襲撃し、同革命評議会議長(書記長)を殺害(嵐333号作戦) 1981年12月18日 - サラプールの学校の人質解放作戦 1982年3月2日 - 米大使館領内において手製の爆弾で武装した犯人の無力化 1983年11月18~19日 - トビリシ市でのTu-134のハイジャック事件(ロシア語版、英語版)対策 1988年9月20日 - 国内軍軍人によりハイジャックされたTu-134の乗客の解放 1988年 - ミネラールヌイエ・ヴォドゥイ市で生徒を乗せたバスがハイジャックされる。アルファ部隊は、「グロム」作戦を実施。イスラエル政府と協力して、テルアビブでテロリストを拘束し、彼らをモスクワに連行した。 1989年3月 - アエロフロート機国内便ハイジャック事件に出動 1990年8月13日 - スフミ市の取調拘置所での人質解放作戦 1991年1月 - ヴィリニュスのテレビ局の奪取に参加、13名の市民を殺害(血の日曜日事件 (リトアニア)) 1991年8月 - ソ連8月クーデター時、ボリス・エリツィンが立て篭もるロシア共和国議会への突入を拒否 1993年10月4日 - アルファ部隊は、ロシア連邦最高会議庁舎への突入命令を受けた。当初、代議員側と交渉を試みたが、不発に終わった。 1995年6月17日 - シャミル・バサエフ指揮下のテロリストが1千人以上を人質に取ったブデノフスク市市立病院への突入に参加 1995年9月20日 - バスで略取された人質の解放作戦 1995年10月 - モスクワ、ワシレフスキー坂で乗客を乗せたバスをジャックしたテロリストを殺害 2002年10月 - モスクワ劇場占拠事件の人質解放作戦に参加。犯人は全員射殺されたが、ガス中毒により人質129人が死亡。 2004年9月 - ベスラン学校占拠事件の人質解放作戦に参加。 2006年11月 - ダゲスタンの外国人義勇兵団リーダー、アブー・ハフス・アル・ウルドゥニを殺害。 2022年3月 − ウクライナ侵攻に投入。ウクライナ・ブチャにおいて非戦闘員の殺害に関与[要出典]。
※この「主な戦歴」の解説は、「アルファ部隊」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「アルファ部隊」の記事については、「アルファ部隊」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:20 UTC 版)
「特殊作戦軍 (ロシア連邦)」の記事における「主な戦歴」の解説
2014年、ロシア軍によるクリミア半島侵攻作戦投入される。 2015年、ロシア軍爆撃機撃墜事件が発生した際に、フライト・レコーダーを回収するために投入。 2016年、パルミラの戦いに参加。 2017年、ある指揮官と16人の隊員が、シリアで推定300人のイスラム過激派を排除。ロシア連邦英雄の金色勲章を授与されている。
※この「主な戦歴」の解説は、「特殊作戦軍 (ロシア連邦)」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「特殊作戦軍 (ロシア連邦)」の記事については、「特殊作戦軍 (ロシア連邦)」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 01:13 UTC 版)
VII型は1936年から45年にかけVIIA型~VIIF型まで各型合計で約700隻近くが建造され、ドイツ海軍潜水艦隊の中核として、大西洋の戦いの主力として活躍した。 特に、イギリス海軍の航空母艦「カレイジャス」を撃沈したVIIA型のU-29、スカパ・フローに潜入し戦艦「ロイヤル・オーク」を撃沈したギュンター・プリーン(Günther Prien)指揮するVIIB型のU-47、大西洋と北海での12回の作戦行動で54隻を撃沈したU-48、空母「イーグル」を撃沈したU-73、オットー・クレッチマー(Otto Kretschmer)の指揮したU-99やヨアヒム・シェプケ(Joachim Schepke)のU-100、空母「アーク・ロイヤル」を撃沈したVIIC型のU-81、戦艦「バーラム」を撃沈したU-331が有名である。 ちなみに、HX228船団を襲撃したU-444は、英海軍駆逐艦「ハーヴェスター」に体当たりを受け、互いのプロペラシャフトが絡み合って動けない所に、自由フランス海軍のフラワー級コルベット「アコニト」の体当たりを受けて沈没した。
※この「主な戦歴」の解説は、「UボートVII型」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「UボートVII型」の記事については、「UボートVII型」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/08/11 01:02 UTC 版)
1994年 NBBF全日本トールクラス優勝。 1996年~1999年 NBBF全日本ボディビル選手権優勝。 1996年 NGAナチュラルボディビルディングチャンピオンシップス ミドル級優勝 2001年 NBBF全日本ボディビル選手権を最後にコンテスト出場を引退。現在、学生時代から行なっている陸上競技(砲丸投)に復帰。
※この「主な戦歴」の解説は、「池田富雄」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「池田富雄」の記事については、「池田富雄」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 02:35 UTC 版)
※Jr=世界ジュニア選手権、E=ヨーロッパ選手権、W=世界選手権、O=オリンピック。
※この「主な戦歴」の解説は、「イブ・ミュアヘッド」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「イブ・ミュアヘッド」の記事については、「イブ・ミュアヘッド」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 02:10 UTC 版)
特に太平洋戦争(大東亜戦争)では陸戦隊の戦闘は非常に多く、ここに掲げる以外にも多くが存在する。 旅順攻囲戦 - 日露戦争。海軍陸戦重砲隊が参加。 尼港事件 - ロシア内戦。邦人保護のため全滅するまで戦う。 第一次上海事変 / 第二次上海事変 - 上海海軍陸戦隊が少ない兵力での防衛戦に成功した。 ウェーク島の戦い - 舞鶴第2特別陸戦隊などが海軍単独での上陸作戦を実施。占領には成功したが大損害を受けた。 メナドの戦い - 横須賀第1特別陸戦隊(堀内豊秋中佐)の空挺部隊(空の神兵)などが参加。海軍単独での占領に成功。 ラビの戦い(ミルン湾の戦い) - 呉第3及び第5特別陸戦隊や、佐世保第5特別陸戦隊などが次々と投入され、海軍単独での上陸作戦を行った。しかし、オーストラリア軍・アメリカ軍との交戦の結果、大損害を受けて敗退した。 ブナ・ゴナの戦い - 横須賀第5特別陸戦隊(安田義達大佐)を中心に設営隊など900名が、ブナの防衛戦に参加した。陸軍部隊とともに長期の抵抗の末に全滅。安田大佐は陸戦専攻の海軍士官で、館山砲術学校の教頭を務めたこともあった。 ラエ・サラモアの戦い - 最終的にサラワケット越えと呼ばれる撤退戦を行った。 ニュージョージア島の戦い - 後日撤退に成功。 フィンシュハーフェンの戦い - 海軍第85警備隊が本来の陸戦隊要員抜きで戦闘を行った。 タラワの戦い / マキンの戦い - 第3特別根拠地隊(柴崎恵次少将)と隷下の佐世保第7特別陸戦隊が全滅。 テニアンの戦い - 第56警備隊(大家吾一大佐)が戦闘を展開。 マニラの戦い (1945年) - 第31特別根拠地隊(岩淵三次少将)基幹のマニラ海軍防衛隊が市街戦を展開。 硫黄島の戦い - 第27航空戦隊の市丸利之助少将の下、硫黄島警備隊のほか航空隊や設営隊を改編して戦闘。 沖縄戦 - 沖縄方面根拠地隊(大田実少将)指揮下の陸戦隊が参加。小銃が数人で1丁などの乏しい武装で戦闘した。大田少将の『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文で有名である。
※この「主な戦歴」の解説は、「海軍陸戦隊」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「海軍陸戦隊」の記事については、「海軍陸戦隊」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 08:57 UTC 版)
2005年 - 日本カヌースラローム選手権優勝。 2006年 - スラロームジュニア世界選手権9位。スラローム世界選手権23位 2007年 - スラローム世界選手権24位 2008年 - 北京オリンピック カヌー・スラローム女子カヤックシングル4位入賞(この競技における日本史上最高記録である)
※この「主な戦歴」の解説は、「竹下百合子」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「竹下百合子」の記事については、「竹下百合子」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 17:04 UTC 版)
マウンテンバイク 2003年 ジャパンシリーズ・第6戦 1位 2004年 世界自転車選手権(フランス)52位 UCI ランキング 88位 (258P) アジア選手権(フィリピン) 優勝 アテネオリンピック代表選考会 2位 全日本選手権 優勝 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2005年 世界自転車選手権(イタリア)40位 UCI ランキング 87位 (260P) アジア選手権(インドネシア)5位 全日本選手権 優勝 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2006年 世界自転車選手権(ニュージーランド)34位 UCI ランキング 65位 (279P) アジア選手権(ベトナム)4位 アメリカナショナルシリーズ戦 XC17位、ST12位 全日本選手権 優勝 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2007年 世界自転車選手権(イギリス)45位 UCI ランキング 71位 (285P) アジア選手権(中国・蘇州) 4位(1~3位までは中国選手で、中国選手以外では最上位) 全日本選手権 優勝 MTB ナショナルポイントランキング 総合2位 2008年 世界自転車選手権(イタリア)39位 UCI ランキング 53位 (408P) 北京オリンピック代表選考会(J八幡浜インターナショナルクロスカントリー) 1位 北京オリンピック 20位 全日本選手権 優勝 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2009年 世界自転車選手権(オーストラリア)25位 UCI ランキング 64位 (318P) 全日本選手権 優勝 アジア選手権 2位 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2010年 世界自転車選手権(カナダ)24位 UCI ランキング 30位 (653P) 全日本選手権 優勝 アジア競技大会 3位 2011年 世界自転車選手権(スイス)28位 UCI ランキング 25位 (785P) 全日本選手権 優勝 アジア選手権 2位 2012年 世界自転車選手権(オーストリア)36位 UCI ランキング 33位 (656P) 全日本選手権 優勝 ロンドンオリンピック・クロスカントリー 20位 アジア選手権 優勝。 ロードレース 2006年 東日本実業団選手権 1位 実業団富士国際ヒルクライム 1位 ジャパンカップロードレース 5位 2009年 全日本自転車競技選手権大会 3位 2010年 全日本自転車競技選手権大会 3位 2011年 全日本自転車競技選手権大会 2位
※この「主な戦歴」の解説は、「片山梨絵」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「片山梨絵」の記事については、「片山梨絵」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 02:24 UTC 版)
2008年 北京オリンピック・クロスカントリー 3位 2009年 マウンテンバイク世界選手権 優勝 2010年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 2011年 マウンテンバイク世界選手権クロスカントリー 2位 チームリレー 2位 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合2位。 2012年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 スイス選手権・XC 優勝 ロンドンオリンピック・クロスカントリー 2位 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝 2013年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 スイス選手権・XC 優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝 2014年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合2位 スイス選手権・XC 優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 2位 2015年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝 2016年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合2位 リオデジャネイロオリンピック・クロスカントリー 優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝 2017年 Absa Cape Epic(英語版) 総合優勝 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝 2018年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝 2019年 Absa Cape Epic(英語版) 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権・XC 優勝
※この「主な戦歴」の解説は、「ニノ・シューター」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「ニノ・シューター」の記事については、「ニノ・シューター」の概要を参照ください。
主な戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 06:45 UTC 版)
「J2000 (野球チーム)」の記事における「主な戦歴」の解説
1999年12月18日 - J2000台湾大震災チャリティー野球大会「MARCH OF 2000」対戦相手は、和歌山の少年野球チーム「有田リトルシニア」。千葉マリンスタジアム。 2000年3月20日 - 「J2000 × 大阪近鉄バファローズスペシャルチーム」近鉄OBとの試合。大阪ドーム。 2000年12月9日 - 「野球博 in JAPAN」阪神タイガース・オリックス・ブルーウェーブ・大阪近鉄バファローズ・J2000の4つの混合チームで試合。大阪ドーム。 2001年6月 - 「Jスポーツ2001野球大会」 2004年9月11日 - 「Jスポーツ2004 EASTvsWEST BASEBALL GAME」大阪ドームにて開催。EASTメンバー:亀梨和也(キャプテン・センター・ピッチャー)、鈴木大貴(ショート)、笹谷敏樹(セカンド)、草野博紀(ファースト)、田口淳之介(ライト)、小山慶一郎(サード)、横尾渉(キャッチャー)、河合郁人(レフト) WESTメンバー:内博貴(キャプテン・ピッチャー)、横山裕(サード)、浜中文一(セカンド)、鮫島章洋(ショート)、安田章大(レフト)、佐竹滉輝(センター)、向井一博(ライト)、鮫島隆宏(ファースト)、向井祥博(キャッチャー)
※この「主な戦歴」の解説は、「J2000 (野球チーム)」の解説の一部です。
「主な戦歴」を含む「J2000 (野球チーム)」の記事については、「J2000 (野球チーム)」の概要を参照ください。
- 主な戦歴のページへのリンク