主な戦歴とは? わかりやすく解説

主な戦歴

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山岸秀匡」の記事における「主な戦歴」の解説

1994年 関東学生ボディビル選手権 3位全日本学生ボディビル選手権 4位 1995年 関東学生ボディビル選手権 優勝全日本学生ボディビル選手権 優勝 1996年 関東学生ボディビル選手権 優勝全日本学生ボディビル選手権 優勝 1998年 ジャパン・オープン選手権ミドル級優勝 1999年 IFBBミスター・アジア(ライト・ミドル級)4位 2000年 男子日本ボディビル選手権ミスター日本3位 2000年 IFBBミスター・ユニバース(ウェルター級)6位 2001年 IFBBミスター・アジア80kg下級ライト・ミドル級優勝 2001年 男子日本ボディビル選手権 2位 2002年 男子日本ボディビル選手権 3位 2002年 IFBBミスター・ユニバース(ウェルター級102006年 IFBBサンフランシスコ・プロ・インヴィテイショナル 11位(プロ転向後初の入賞2006年 IFBBスペイン・サンタスザンナ・プロ 出場 2006年 IFBBオーストリアメンズプロ・グランプリ 122006年 IFBBルーマニア・グランプリ 6位 (10内入賞) 2006年 IFBBオランダ・グランプリ 4位 (4位入賞2007年 IFBBアイアンマン・プロ 7位 2007年 Atlantic City Pro 9位 2007年 IFBBサンフランシスコ・サクラメント・プロ 3位入賞世界大会上位3位入りを果たす) (この結果によりミスター・オリンピア出場日本人として初の獲得者となる。※アジア人としては、インドのプレム・チャンドが既に出場したことがある2007年 アーノルドクラシック大会招待選手として出場(これも日本人としては初) 2007年 IFBBオーストラリア・プロ 5位入賞 2007年 IFBBミスター・オリンピア 132008年 Atlantic City Pro 8位 2009年 Atlantic City Pro 22009年 IFBBミスター・オリンピア 9位 2010年 EUROPA SHOW OF CHAMPIONS - ORLAND 優勝プロ転向後初の優勝2010年 IFBBミスター・オリンピア 102011年 IFBBミスター・オリンピア 102012年 IFBBミスター・オリンピア 152013年 IFBBアーノルドクラシック 5位 2014年 IFBBタンパプロ212 優勝 2014年 IFBBミスター・オリンピア212 42015年 IFBBアーノルドクラシック212 2位IFBBミスター・オリンピア212 32016年 IFBBアーノルドクラシック212 優勝IFBBミスター・オリンピア212 6位、IFBBアジアグランプリ 3位 2017年 IFBBアーノルドクラシック212 6位 2018年 IFBBアーノルドクラシック 10位、IFBBアーノルドクラシックオーストラリア 5位、IFBBインディプロ 7位 2019年 IFBBダラスプロ 212 優勝IFBBミスター・オリンピア212 8位、IFBB Monsterzym Pro 212 優勝

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主な戦歴

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カナージ・アングリア」の記事における「主な戦歴」の解説

1702年コチン近海イギリス人船員6名の乗った小型船拿捕1706年ジャンジーラーの地でシディ族を襲撃し勝利1710年ムンバイ近海にてイギリス船Godolphin号との2日間にわたる戦いの末、カンデリ(英語版)島を奪取1712年、ウィリアム・エイズラビー(英語版)の武装ヨット拿捕30,000ルピーという多額代価受けてようやくこれを返還した1713年イギリス側からカナージに10の砦の支配権譲られた。 1717年、カンデリ(英語版)島に砲撃行っていたイギリスSuccess号をカナージが拿捕イギリス東インド会社60,000ルピー支払うという条件で、カナージは和解協定合意した1718年ムンバイの港を封鎖し解除引き換え金銭得た。チャールズ・ブーン率いイギリス軍がヴィジャイドゥルグ砦(英語版)を襲撃したものの、成果なきままムンバイへの退却余儀なくされた。 1720年イギリス軍が再びヴィジャイドゥルグ砦(英語版)を攻撃したが、これも失敗終わった1721年イギリス艦隊ムンバイ到着ポルトガル軍連合してアリバグ(英語版)を攻撃したが、敗北終わった1722年チャウル近海にて武装ヨット4隻・その他船舶20からなるイギリス艦隊襲撃1723年イギリスEagle号およびHunter号を襲撃1724年マラーター勢力ポルトガルとの間で和解協定結ばれたオランダ軍がヴィジャイドゥルグ砦(英語版)を襲撃したものの、敗走した1725年、カナージとシディ勢力の間で和解協定結ばれた1729年、パルガド(英語版)砦を奪取

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伊藤繁雄」の記事における「主な戦歴」の解説

1967年 全日本卓球選手権大会男子優勝男子ダブルス河野満ペア優勝 1968年 全日本卓球選手権大会男子優勝男子ダブルス河野満ペア1969年 世界卓球選手権ミュンヘン男子シングルス優勝男子団体優勝男子ダブルス3位河野満ペア)、混合ダブルス3位小和田敏子ペア全日本卓球選手権大会男子ダブルス優勝長谷川信彦ペア1971年 世界卓球選手権シングルス準優勝ダブルス ベスト8団体準優勝 1972年 全日本卓球選手権大会男子ダブルス優勝阿部勝幸ペア1974年 全日本卓球選手権大会混合ダブルス優勝大関行江ペア1975年 世界卓球選手権ダブルス ベスト4混合ダブルスベスト4、全日本卓球選手権大会混合ダブルス優勝大関行江ペア1971年名古屋世界選手権では団体戦調子出ず、苦手を公言していたカラカセビッチ等欧州選手の他中国選手前陣速攻にも苦戦していたが、個人戦になると期待され長谷川河野敗退する中で李富栄、シュルベクの強敵連破17歳ステラン・ベンクソンには敗れたものの決勝進出し面目保った

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イルハム・ザキエフ」の記事における「主な戦歴」の解説

2004年 - アテネパラリンピック 優勝 2005年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2008年 - 北京パラリンピック 優勝 2009年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2011年 - IBSA世界大会 2位 2012年 - ロンドンパラリンピック 3位 2013年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2015年 - ヨーロッパ競技大会視覚障害者部門 優勝 2015年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2016年 - リオデジャネイロパラリンピック 5位 2017年 - IBSAヨーロッパ選手権 優勝 2021年 - 東京パラリンピック 3位 (出典JudoInside.com)。

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正木健人」の記事における「主な戦歴」の解説

2002年 - 全国中学校柔道大会 90kg超級 2位 2004年 - インターハイ 団体戦 5位 2005年 - インターハイ 100kg超級 3位 団体戦 3位 2011年 - IBSA 世界選手権 優勝 2012年 - ロンドンパラリンピック 優勝 2014年 - IBSA世界選手権 3位 2014年 - 2014年アジアパラ競技大会 3位 2015年 - IBSAワールドカップ 2位 2016年 - リオデジャネイロパラリンピック 3位 (出典 JudoInside.com)。

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吉田隼人 (自転車選手)」の記事における「主な戦歴」の解説

2007年 アジア自転車競技選手権大会ジュニア部ロードレース優勝 ツール・ド・ラビティビ 区間1勝(第5)。 2008年 ツール・ド・イラン 区間1勝(第3) 2009年 東アジア競技大会団体ロードレース優勝2011年 全日本選手権U23個人タイムトライアル 優勝 2012年チームブリヂストン・アンカー加入fr:Les Challenges Phosphatiers 3位 2013年シマノレーシング移籍ツール・ド・台湾 第7ステージ優勝総合31ツアー・オブ・ジャパン 第6ステージ 3位 2014年ツール・ド・熊野 第3ステージ3位 ツール・ド・コリア 第8ステージ 6位 2015年マトリックス・パワータグ移籍全日本選手権ロードレース 4位

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廣瀬順子」の記事における「主な戦歴」の解説

2014年 - 2014年アジアパラ競技大会 2位 2015年 - IBSAワールドカップ 5位 2015年 - IBSAワールドゲームズ 5位 2016年 - リオデジャネイロパラリンピック 3位 2018年 - IBSAワールドカップ 優勝 2018年 - 2018年アジアパラ競技大会 3位 2018年 - IBSA柔道世界選手権 準優勝 2019年 - 東京国視覚障害者柔道選手 優勝 2021年 - 東京パラリンピック 5位 (出典 JudoInside.com, IBSA)。

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中村礼子」の記事における「主な戦歴」の解説

アテネオリンピック(2004年)女子100m背泳ぎ 4位入賞タイム:1分0105女子200m背泳ぎ 銅メダルタイム:2分0988当時日本記録更新女子400mメドレーリレー 5位入賞タイム40483田中雅美大西順子永井奉子と共に出場世界水泳モントリオール大会2005年女子200m背泳ぎ 銅メダルタイム:2分1041) ビクトリアパンパシフィック水泳選手大会2006年女子200m背泳ぎ 金メダルタイム:2分0886日本新記録世界水泳メルボルン大会2007年女子100m背泳ぎ 銅メダルタイム:1分0040日本新記録女子200m背泳ぎ 銅メダルタイム:2分0854自身の持つ日本記録を0秒32更新日本選手権2007年女子100m背泳ぎ 優勝タイム:1分0秒29自身の持つ日本記録を0秒11更新競泳ジャパンオープン2008女子200m背泳ぎ 優勝タイム:2分0324短水路世界新記録(当時)。2008年4月11日カースティ・コベントリー礼子タイム上回る2分0秒91短水路世界新記録を出す) 日本選手権2008年100m背泳ぎ予選日本女子選手史上初の1分突破となる5996日本新記録。なおこの記録決勝優勝した伊藤華英にあっさりと破られてしまった(5983)。中村は1分オーバー2位だったがこの種目五輪出場獲得北京オリンピック(2008年)女子100m背泳ぎ 6位(タイム5972)なお予選では5936の日記録樹立した女子200m背泳ぎ 銅メダルタイム:2分7秒13日本新記録アテネオリンピックからの2大会連続メダル獲得女子日本水競技史上前畑秀子以来72年振り快挙である。 女子400mメドレーリレー 6位入賞タイム35954北川麻美加藤ゆか上田春佳と共に出場

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ピエリック・フェドリゴ」の記事における「主な戦歴」の解説

1999年クレディ・アグリコルトレーニー契約2002年 ツール・デュ・リムザン 区間1勝(第4)。 パリ〜コレーズ 区間1勝(第3)。 2003年 ツール・ド・ラブニール 区間1勝(第6)。 2004年 ツール・デュ・リムザン 区間1勝(第2)、総合優勝2005年ブイグ・テレコム(現 ヨーロッパカー)に移籍ショレ=ペイ・ド・ロワール 優勝フランス国選手権個人個人ロードレース 優勝ダンケルク4日間レース 総合優勝 2006年 ダンケルク4日間レース 区間1勝(第4)。 ツール・ド・フランス第14ステージ勝利ツール・デュ・リムザン 区間1勝(第1)。 2007年 ツール・デュ・リムザン総合優勝2008年 ダンケルク4日間レース 区間1勝(第4)、総合2位カタルーニャ一周 区間1勝(第3)。 8月25日行われたGP西フランス・プルエーでは、同タイムゴールとなったアレッサンドロ・バッラン下し優勝果たした2009年 ダンケルク4日間レース 区間1勝(第5)。 ドーフィネ・リベレ 区間1勝(第6)、総合6位、山岳賞ツール・ド・フランス第9ステージにおいて、ステージ前半より、フランコ・ペッリツォッティ2人でダスパン峠、ツールマレー峠の二箇所難関を含む行程最後まで牽引最後はペッリツォッティを降し区間優勝果たした2010年 クリテリウム・アンテルナシオナル 区間1勝(第1)、総合優勝 ツール・ド・フランス第16ステージ勝利2011年FDJ(後の FDJ・ビッグマット)に移籍グランプリ・シクリスト・ド・モンレアル 2位 2012年 クリテリウム・アンテルナシオナル 区間1勝(第3)、総合2位 ダンケルク4日間レース 総合6位 ツール・ド・フランス第15ステージ勝利2013年 ツール・デュ・オー・ヴァル 総合4位 クリテリウム・アンテルナシオナル 総合8位 パリ〜カマンベール 優勝

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ローラン・フィニョン」の記事における「主な戦歴」の解説

1982 ルノー・エルフ・ジタン クリテリウム・アンテルナシオナル 優勝 1983 ルノー・エルフ・ジタン ツール・ド・フランス1983 総合優勝第21ステージ優勝ティレーノ~アドリアティコクリテリウム・アンテルナシオナルブエルタ・ア・エスパーニャ区間優勝1984 ルノージタンツール・ド・フランス1984 総合優勝(第7・1618・2022ステージ優勝ジロ・デ・イタリア 総合2位山岳賞第20ステージ優勝フランス 国選手権 優勝 1986 システムU(ジタンフレッシュ・ワロンヌ 優勝 ドーフィネ・リベレ 区間優勝 1987 システムU(ジタンパリ~ニース 2ステージ優勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間優勝 ツール・ド・フランス1987 総合7位(第21ステージ優勝1988 システムU(ジタンミラノ~サンレモ 優勝 クリテリウム・アンテルナシオナル 区間優勝 パリカマンベール 優勝 1989 スーパーU(ラレージロ・デ・イタリア 総合優勝1ステージ優勝ミラノ~サンレモ 優勝 ツール・ド・フランス1989 総合2位敢闘賞第18ステージ優勝マイヨ・ジョーヌ着用期間11日(第10 - 20ステージまで。)) ロンド・ファン・ネーデルランド 総合優勝 グランプリ・デ・ナシオン 優勝 1990 カストラマ(ラレークリテリウム・アンテルナシオナル 優勝 1991 カストラマ(ラレーツール・ド・フランス1991 総合6位 1992 ゲータレードビアンキツール・ド・フランス1992 総合23位(第11ステージ優勝1993 ゲータレードビアンキ) ルータ・メキシコ 総合優勝

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時津風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「主な戦歴」の解説

スラバヤ沖海戦 - 第二水雷戦隊・第16駆逐隊に、雪風初風天津風とともに所属第二次ソロモン海戦 - 第三艦隊支隊に、空母龍驤重巡洋艦利根天津風と共に所属龍驤沈没後、乗組員救助南太平洋海戦 - 第三艦隊(南雲機動部隊)本隊所属第一航空戦隊翔鶴瑞鶴瑞鳳)、第4駆逐隊(嵐、舞風)、第16駆逐隊初風雪風天津風時津風)、第17駆逐隊浜風)、第61駆逐隊照月ケ号作戦陽動上陸戦 - 警戒隊(時津風旗艦》、黒潮白雪)、輸送隊浦風浜風江風第一次輸送 - 第16駆逐隊時津風雪風)、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)、第8駆逐隊大潮荒潮)、第10駆逐隊風雲、《巻雲|沈没》、夕雲秋雲)、《巻波|小破》、舞風江風黒潮白雪文月皐月長月、《カビエン待機|川内第二次輸送 - 第16駆逐隊時津風雪風)、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)、第8駆逐隊同上2隻、第10駆逐隊風雲夕雲秋雲)、白雪黒磯朝雲五月雨、《舞風|中破》、江風皐月長月文月、《カビエン待機|川内》、《ショートランド待機|巻波夕霧第三次輸送 - 第16駆逐隊時津風雪風)、第17駆逐隊谷風浦風浜風、《磯風|中破》)、第8駆逐隊同上2隻、第10駆逐隊同上3隻、白雪黒潮朝雲五月雨皐月文月長月

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山縣亮太」の記事における「主な戦歴」の解説

括弧内は風速m/s)。+は追い風、-は向かい風記録当時

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アルファ部隊」の記事における「主な戦歴」の解説

1979年12月 - アフガニスタン指導者ハフィーズッラー・アミーン大統領官邸襲撃し、同革命評議会議長書記長)を殺害嵐333号作戦1981年12月18日 - サラプールの学校人質解放作戦 1982年3月2日 - 米大使館領内において手製爆弾武装した犯人無力1983年11月1819日 - トビリシ市でのTu-134ハイジャック事件ロシア語版英語版対策 1988年9月20日 - 国内軍軍人によりハイジャックされTu-134乗客解放 1988年 - ミネラールヌイエ・ヴォドゥイ市で生徒乗せたバスハイジャックされる。アルファ部隊は、「グロム作戦実施イスラエル政府協力してテルアビブテロリスト拘束し、彼らをモスクワ連行した1989年3月 - アエロフロート国内便ハイジャック事件出動 1990年8月13日 - スフミ市の取調拘置所での人質解放作戦 1991年1月 - ヴィリニュステレビ局奪取参加13名の市民殺害血の日曜日事件 (リトアニア)1991年8月 - ソ連8月クーデター時、ボリス・エリツィン立て篭もるロシア共和国議会への突入拒否 1993年10月4日 - アルファ部隊は、ロシア連邦最高会議庁舎への突入命令受けた当初代議員側と交渉試みたが、不発終わった1995年6月17日 - シャミル・バサエフ指揮下のテロリストが1千人以上を人質取ったブデノフスク市市病院への突入参加 1995年9月20日 - バス略取された人質の解放作戦 1995年10月 - モスクワワシレフスキー坂で乗客乗せたバスジャックしたテロリスト殺害 2002年10月 - モスクワ劇場占拠事件人質解放作戦参加犯人全員射殺されたが、ガス中毒により人質129人が死亡2004年9月 - ベスラン学校占拠事件人質解放作戦参加2006年11月 - ダゲスタン外国人義勇兵リーダー、アブー・ハフス・アル・ウルドゥニを殺害2022年3月ウクライナ侵攻投入。ウクライナ・ブチャにおいて非戦闘員殺害関与[要出典]。

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特殊作戦軍 (ロシア連邦)」の記事における「主な戦歴」の解説

2014年ロシア軍によるクリミア半島侵攻作戦投入される2015年ロシア軍爆撃機撃墜事件発生した際に、フライト・レコーダー回収するために投入2016年パルミラ戦い参加2017年、ある指揮官16人の隊員が、シリア推定300人のイスラム過激派排除ロシア連邦英雄金色勲章授与されている。

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UボートVII型」の記事における「主な戦歴」の解説

VII型は1936年から45年にかけVIIA型VIIF型まで各型合計で約700近く建造されドイツ海軍潜水艦隊中核として、大西洋の戦い主力として活躍した。 特に、イギリス海軍航空母艦カレイジャス」を撃沈したVIIA型U-29スカパ・フロー潜入し戦艦ロイヤル・オーク」を撃沈したギュンター・プリーンGünther Prien指揮するVIIB型U-47大西洋北海での12回の作戦行動54隻を撃沈したU-48、空母イーグル」を撃沈したU-73、オットー・クレッチマーOtto Kretschmer)の指揮したU-99ヨアヒム・シェプケJoachim Schepke)のU-100、空母アーク・ロイヤル」を撃沈したVIIC型U-81戦艦バーラム」を撃沈したU-331が有名である。 ちなみに、HX228船団襲撃したU-444は、英海軍駆逐艦ハーヴェスター」に体当たりを受け、互いプロペラシャフト絡み合って動けない所に、自由フランス海軍フラワー級コルベット「アコニト」の体当たり受けて沈没した

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池田富雄」の記事における「主な戦歴」の解説

1994年 NBBF全日本トールクラス優勝1996年1999年 NBBF全日本ボディビル選手権優勝1996年 NGAナチュラルボディビルディングチャンピオンシップス ミドル級優勝 2001年 NBBF全日本ボディビル選手権最後にコンテスト出場引退。現在、学生時代から行なっている陸上競技砲丸投)に復帰

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イブ・ミュアヘッド」の記事における「主な戦歴」の解説

Jr=世界ジュニア選手権、E=ヨーロッパ選手権、W=世界選手権、O=オリンピック

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海軍陸戦隊」の記事における「主な戦歴」の解説

特に太平洋戦争大東亜戦争)では陸戦隊戦闘は非常に多く、ここに掲げる以外にも多く存在する旅順攻囲戦 - 日露戦争海軍陸戦重砲隊が参加尼港事件 - ロシア内戦邦人保護のため全滅するまで戦う。 第一次上海事変 / 第二次上海事変 - 上海海軍陸戦隊少な兵力での防衛戦成功したウェーク島の戦い - 舞鶴第2特別陸戦隊などが海軍単独の上作戦実施占領には成功した大損害を受けたメナド戦い - 横須賀第1特別陸戦隊堀内豊秋中佐)の空挺部隊空の神兵)などが参加海軍単独での占領成功ラビの戦いミルン湾の戦い) - 呉第3及び第5特別陸戦隊や、佐世保第5特別陸戦隊などが次々と投入され海軍単独の上作戦行った。しかし、オーストラリア軍アメリカ軍との交戦結果大損害を受けて敗退したブナ・ゴナの戦い - 横須賀第5特別陸戦隊安田義達大佐)を中心に設営隊など900名が、ブナ防衛戦参加した陸軍部隊とともに長期抵抗の末に全滅安田大佐陸戦専攻海軍士官で、館山砲術学校教頭務めたこともあった。 ラエ・サラモアの戦い - 最終的にサラワケット越え呼ばれる撤退戦行ったニュージョージア島の戦い - 後日撤退成功フィンシュハーフェンの戦い - 海軍85警備隊が本来の陸戦隊要員抜きで戦闘行ったタラワの戦い / マキンの戦い - 第3特別根拠地隊柴崎恵次少将)と隷下佐世保第7特別陸戦隊全滅テニアンの戦い - 第56警備隊大家一大佐)が戦闘を展開。 マニラの戦い (1945年) - 第31特別根拠地隊岩淵三次少将基幹マニラ海軍防衛隊市街戦を展開。 硫黄島の戦い - 第27航空戦隊の市丸利之助少将の下、硫黄島警備隊のほか航空隊設営隊改編して戦闘沖縄戦 - 沖縄方面根拠地隊大田実少将指揮下の陸戦隊参加小銃数人で1丁などの乏し武装戦闘した。大田少将の『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文で有名である。

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竹下百合子」の記事における「主な戦歴」の解説

2005年 - 日本カヌースラローム選手権優勝2006年 - スラロームジュニア世界選手権9位。スラローム世界選手権232007年 - スラローム世界選手権242008年 - 北京オリンピック カヌー・スラローム女子カヤックシングル4位入賞(この競技における日本史最高記録である)

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片山梨絵」の記事における「主な戦歴」の解説

マウンテンバイク 2003年 ジャパンシリーズ・第6戦 1位 2004年 世界自転車選手権フランス52UCI ランキング 88位 (258P) アジア選手権フィリピン優勝 アテネオリンピック代表選考2位 全日本選手権 優勝 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2005年 世界自転車選手権イタリア40UCI ランキング 87位 (260P) アジア選手権インドネシア)5位 全日本選手権 優勝 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2006年 世界自転車選手権ニュージーランド34UCI ランキング 65位 (279P) アジア選手権ベトナム)4位 アメリカナショナルシリーズ戦 XC17位、ST12位 全日本選手権 優勝 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2007年 世界自転車選手権イギリス45UCI ランキング 71位 (285P) アジア選手権中国蘇州) 4位(1~3位までは中国選手で、中国選手以外では最上位全日本選手権 優勝 MTB ナショナルポイントランキング 総合2位 2008年 世界自転車選手権イタリア39UCI ランキング 53位 (408P) 北京オリンピック代表選考会(J八幡浜インターナショナルクロスカントリー) 1位 北京オリンピック 20全日本選手権 優勝 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2009年 世界自転車選手権オーストラリア25UCI ランキング 64位 (318P) 全日本選手権 優勝 アジア選手権 2位 MTB ジャパンシリーズ 総合1位 MTB ナショナルポイントランキング 総合1位 2010年 世界自転車選手権カナダ24UCI ランキング 30位 (653P) 全日本選手権 優勝 アジア競技大会 3位 2011年 世界自転車選手権スイス28UCI ランキング 25位 (785P) 全日本選手権 優勝 アジア選手権 2位 2012年 世界自転車選手権オーストリア36UCI ランキング 33位 (656P) 全日本選手権 優勝 ロンドンオリンピック・クロスカントリー 20アジア選手権 優勝ロードレース 2006年 東日本実業団選手権 1位 実業団富士国ヒルクライム 1位 ジャパンカップロードレース 5位 2009年 全日本自転車競技選手権大会 3位 2010年 全日本自転車競技選手権大会 3位 2011年 全日本自転車競技選手権大会 2位

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主な戦歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 02:24 UTC 版)

ニノ・シューター」の記事における「主な戦歴」の解説

2008年 北京オリンピック・クロスカントリー 3位 2009年 マウンテンバイク世界選手権 優勝 2010年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 2011年 マウンテンバイク世界選手権クロスカントリー 2位 チームリレー 2位 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合2位2012年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 スイス選手権XC 優勝 ロンドンオリンピック・クロスカントリー 2位 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝 2013年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 スイス選手権XC 優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝 2014年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合2位 スイス選手権XC 優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 22015年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝 2016年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合2位 リオデジャネイロオリンピック・クロスカントリー 優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝 2017年 Absa Cape Epic英語版総合優勝 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝 2018年 UCIマウンテンバイクワールドカップ XC 総合優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝 2019年 Absa Cape Epic英語版総合優勝 マウンテンバイク世界選手権XC 優勝

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主な戦歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 06:45 UTC 版)

J2000 (野球チーム)」の記事における「主な戦歴」の解説

1999年12月18日 - J2000台湾大震災チャリティー野球大会MARCH OF 2000対戦相手は、和歌山少年野球チーム有田リトルシニア」。千葉マリンスタジアム2000年3月20日 - 「J2000 × 大阪近鉄バファローズスペシャルチーム」近鉄OBとの試合大阪ドーム2000年12月9日 - 「野球in JAPAN阪神タイガース・オリックス・ブルーウェーブ・大阪近鉄バファローズJ20004つ混合チーム試合大阪ドーム2001年6月 - 「Jスポーツ2001野球大会2004年9月11日 - 「Jスポーツ2004 EASTvsWEST BASEBALL GAME大阪ドームにて開催EASTメンバー亀梨和也(キャプテン・センター・ピッチャー)、鈴木大貴ショート)、笹谷セカンド)、草野博紀ファースト)、田口淳之介ライト)、小山慶一郎サード)、横尾渉キャッチャー)、河合郁人レフトWESTメンバー内博貴(キャプテン・ピッチャー)、横山裕サード)、浜中文一セカンド)、鮫島章洋ショート)、安田章大レフト)、佐竹滉輝(センター)、向井一博(ライト)、鮫島隆宏(ファースト)、向井祥博(キャッチャー

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