ブナ・ゴナの戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ブナ・ゴナの戦いの意味・解説 

ブナ・ゴナの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)

ニューギニアの戦い」の記事における「ブナ・ゴナの戦い」の解説

詳細は「ブナ・ゴナの戦い」を参照 ブナポートモレスビー作戦拠点とするため1942年7月21日日本軍上陸したブナゴナには少数連合軍オーストラリア軍)がいたが既に退却していたため戦闘はなかった。ここからポートモレスビー攻略部隊出発したが、攻略作戦失敗終った日本軍11月9日第17軍の上第8方面軍を、第8方面軍の下に第18軍と第6飛行師団新設した。これは第17軍には戦況悪化するソロモン諸島方面ガダルカナル)に専念させ、東部ニューギニア方面第18軍をあてて戦線建て直しを図るものであった第18軍司令官には北支那方面軍参謀長の職にあった安達二十三中将起用された。南海支隊長の後任には小田健作少将任じられた。 11月中旬オーストラリア軍第7師団アメリカ軍32歩兵師団がブナ・ゴナ地区向けて前進していた。この頃ブナ方面日本軍ポートモレスビー攻略失敗撤退により疲弊した部隊多く、その戦力はあまり望めない状況であった。だがブナ・ゴナ地区日本軍ポートモレスビー作戦策源地であり、ここを失えばポートモレスビー攻略不可能となる。そこでラバウルから増援輸送することになった制空権がない中ではブナ・ゴナ地区南海支隊補充兵独立混成21旅団歩兵229連隊一部増派するのがやっとであった連合軍攻勢強め12月8日にバザブア(ブナゴナの間に位置し日本軍兵員物資揚陸地)の守備隊玉砕1943年1月2日ブナ守備隊玉砕した最後に残ったギルワ(ブナゴナの間に位置守備隊玉砕覚悟決めたが、安達軍司令官玉砕戒めクムシ河口への撤退命じた1月17日小田少将歩行可能な将兵をギルワから脱出させた後、自らは拳銃自決した南海支隊の上以降一連の地上戦闘により、投入され日本軍将兵1万1,000名のうち7,600名が戦死あるいは戦病死し、ブナゴナ、ギルワにおける日本兵捕虜はわずか200名から250余りという結果となった12月末から陸軍の第6飛行師団航空機ブナ戦闘参加し(このときはラバウルから発進以後ニューギニアでの航空戦陸軍航空部隊が主に担うことになっていく。

※この「ブナ・ゴナの戦い」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
「ブナ・ゴナの戦い」を含む「ニューギニアの戦い」の記事については、「ニューギニアの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ブナ・ゴナの戦い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブナ・ゴナの戦い」の関連用語

ブナ・ゴナの戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブナ・ゴナの戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのニューギニアの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS