外国人義勇兵
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YPGには非クルド人義勇兵が参加している。その人数は不明である。彼らの多くは南北アメリカ、ヨーロッパとオーストラリアから来ている。 2014年10月21日、YPGは外国人義勇兵募集用のFacebookページ「ロジャヴァの獅子達」を開設した。あるアメリカ人は、この方法により志願したが、ISISが他の西洋人戦士に対するのと同様に、彼の首に懸賞金をかけたと主張した後、脱走しYPGを離れた。YPGと共に過ごした時に対し、彼は次のような主張と意見を述べている。「軍隊経験がなく、年齢制限もなく、また肉体的制限もかけず、誰でも連れて行くのは極めて危険である…かれらは人びとをそこへ連れて行き、銃を渡し、相棒よ幸運をと言うだけだ。」また反社会主義を脱退の理由とする義勇兵もいる。しかし、著名義勇兵であるジョーダン・マトソンは、コバネでの激烈な戦闘が脱退の理由ではないかと述べている。マトソンは「ネット上の情報に基づいて、むちゃな行動に出た『インターネット・カウボーイ』たちの大半は、ここでの戦いが通常の派兵とは違うことに気付き、戦意を喪失したのかもしれない」と述べた。 アメリカ合衆国 2014年11月時点で、YPGと共に闘っている、少なくとも10名のアメリカ人義勇兵がいた。 ジョーダン・マトソンはアメリカ陸軍に歩兵として従軍していた。 ジェレミー・ウッダードはイラクとアフガニスタン両方で従軍していた。退役した陸軍軍人のブライアン・ウィルソンは、ラアス・アル=アインに居る。 カナダ 少なくとも1人のカナダ人、元パトリシア王女カナダ軽歩兵連隊所属の兵士 ブランドン・グロソップが、「ロジャヴァの獅子」たちと従軍していることが知られている。 オーストラリア オーストラリアでは、シリア内戦に関わった者はすべて起訴するという豪当局の脅しにも関わらず、元労働組合員やオーストラリア労働党ノーザンテリトリー前支部長マシュー・ガーディナー(英語版)ら豪州国内の左派勢力の数名がYPGに関与している。2015年2月26日に、YPGと共同行動をしている外国人義勇兵の初の死亡が公表された。死亡した28歳のアシュリー・ジョンソンは、2014年10月に人道支援要員としてキャンベラからシリア内クルディスタンに渡った。彼は後に前線戦士としてYPGに従軍することを決意した。 その他 イタリア人1人、 ギリシャ人1人と、何十人もの非クルド トルコ人(トルコとヨーロッパの移民社会両方から)もまたYPGの戦列に加わった。これらのトルコ人戦士の多くは、マルクス・レーニン主義共産党(トルコ語版、英語版)(MLKP)のメンバーである。未確認情報だが、MLKPは2012年以来義勇兵をYPGに送っているとされる。少なくとも4名が2015年2月の、うち1名はラアス・アル=アインの戦い、3名はコバニ包囲戦で死亡している。MLKPはYPG内に左翼国際旅団をつくる意図を表明している。これはスペイン市民戦争において、スペイン第二共和政側で闘った、有名な国際旅団 をモデルにしたものだ。MLKPは2015年1月下旬にビデオを公開した。そこにはヨーロッパから来た、スペイン語やドイツ語をしゃべる数名の共産主義者義勇兵が、ジャジーラ郡の兵卒の中にいると主張するものであった。このような義勇兵グループは、6月10日より国際自由大隊として公式に再編成された。
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