外国人義勇兵初の騎士鉄十字章受章者
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「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の記事における「外国人義勇兵初の騎士鉄十字章受章者」の解説
1943年1月初旬、ソビエト赤軍は後に「第二次ラドガ湖の戦い」として知られる攻勢を開始した。オランダ、ノルウェーの両外国人義勇兵部隊は、ソビエト赤軍の繰り出すT-34中戦車を対戦車砲(フランス軍から鹵獲した7.5cm PaK 97/98)で防ぎ続けた。 2月13日、ソビエト赤軍は「ニーダーランデ」部隊の戦区において11個狙撃兵師団、6個機械化旅団、2個戦車旅団を繰り出して大攻勢を発起した。この時、同部隊の第14(戦車猟兵)中隊に所属する19歳のヘラルドゥス・モーイマン(Gerardus Mooyman)SS上等兵は、先の対戦車砲を指揮して7輛のT-34を撃破し、敵の突破を阻止した。モーイマンはその後も再び押し寄せてきた敵戦車部隊と交戦し、さらにT-34を6輛撃破した。これによってソビエト赤軍は「ニーダーランデ」部隊の戦区を突破できず、二度と同戦区への攻撃を指向しなかった。モーイマンがこの「第二次ラドガ湖の戦い」で撃破した敵戦車はT-34、KV-1など合計19両を数えた。これらの目覚ましい活躍によってモーイマンは1943年2月20日付で騎士鉄十字章を授与され、ドイツ人以外で初めて騎士十字章を佩用した外国人義勇兵になった。彼の活躍はドイツによってヨーロッパ中に広く伝えられ、モーイマンはオランダの若者の手本として大いに宣伝された。
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