ソビエト赤軍
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ソビエト赤軍は将兵約1,100,000名、戦車804両、砲門13,400門、航空機1,000機以上を準備していた。ソビエト赤軍はルーマニア第3軍を撃破してドイツ軍側面を突破するために、第5戦車軍、第21軍、第65軍を配置した。ドイツ軍の南部側面への攻撃はソビエト赤軍第4、第5機械化軍団が先鋒を務め、第51軍、第57軍の目標となり、その後、ルーマニア第4軍を突破して、カラチで第5戦車軍と合流する予定であり、総勢11個軍といくつかの独立戦車旅団を配置した。しかし、ソビエト赤軍の攻撃準備はまだ完全とはいえなかった。結局、多くの部隊が移動の遅延を起こしていたため、ソビエト赤軍最高司令部は11月8日、作戦の延期を命令した。その一方で、各部隊は作戦に参加する前にドイツ軍の反撃を撃退し、機械化部隊で進撃をする演習を繰り返し行っていた。 これらの行動に合わせて、モスクワへの部隊展開を増やすような偽装を行い、無線交信の減少、口頭での移動命令、カモフラージュ等で、できる限り反撃作戦を隠匿した。また、ソビエト赤軍が反撃に使用する予定であったドン川の橋からドイツ軍の注意を逸らすために、ドン川の各所で偽の橋を建設していたが、さらにドイツ軍を油断させるため、防御陣地を構築するよう命令された。また、ソビエト赤軍は中央軍集団への攻撃を行い、ドイツ軍に反撃作戦が中央軍集団に行われると錯覚させるための、偽装の反撃準備を行った。 スターリングラードにおいてはドイツ空軍の激しい爆撃により、ソビエト赤軍部隊の移動はかなり困難であった。スターリングラード戦線で活動していた第38工兵大隊はボルガ川を横断して、弾薬、将兵、戦車の輸送を行っていた。その一方で、切迫していた段階的な反撃の主導を務めることになっており、戦線の比較的交戦の少ない地点の偵察を行っていた。約3週間でソビエト赤軍はボルカ川対岸より、将兵約111,000名、戦車420両、砲門556両を輸送した。 11月17日、ヴァシレフスキーはモスクワに呼び出された。そこで、ヴァシレフスキーは第4機械化軍団司令官司令官ボルスキーが攻撃を取りやめるようスターリンに宛てていた手紙を見せられた。ボルスキーはこの大掛かりな反撃が失敗する運命にあると考えており、その代わりに、攻撃を延期して、作戦を根底から計画し直すよう示唆していた。 多数のソビエト赤軍兵士は冬装備を支給されず、「指揮官の無責任な態度のために」多くの兵士が凍傷で死亡しており、ソビエト赤軍情報部は戦線に配属されているドイツ軍部隊の多くの情報を集める努力をしたが、ドイツ第6軍の情報はあまり手に入れることができなかった。しかし、攻撃を中止する気の無いスターリンはボルスキーに電話をかけ、攻撃命令が出た時、ボルスキーが命令通り攻撃を開始することを確認した。
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ソビエト赤軍
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作戦には以下の5個方面軍が参加した。 中央方面軍(1943年10月20日より白ロシア方面軍) ヴォロネジ方面軍(1943年10月20日より第1ウクライナ方面軍) ステップ方面軍(1943年10月20日より第2ウクライナ方面軍) 南西方面軍(1943年10月20日より第3ウクライナ方面軍) 南方方面軍(1943年10月20日より第4ウクライナ方面軍) 将兵2,650,000名がこの作戦の為に集められた。さらに作戦には砲門51,000門、戦車2,400両、航空機2,850機が利用できる状態であった。
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ソビエト赤軍
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ソビエト赤軍の主力は第5親衛戦車軍であった。第5親衛戦車軍にはおよそ800 - 850の戦車が配属されていたが、その中にはT-70軽戦車が含まれていた。T-34が約409両、T-70が188両、チャーチル歩兵戦車が31両、SU-122とSU-76合わせて48両、そして台数は判明していないがKV-1が配属されていた。なおSU-152 は同じクルスクの戦いでも投入された戦域が異なり、 SU-85の実戦参加は後のドニエプル渡河作戦からである。ソビエト赤軍の情報によれば、これらの数字には第2戦車軍団、第2親衛戦車軍団、第1529狙撃兵連隊の数字は含まれていない。 ソビエト赤軍は第2親衛戦車軍団、第29戦車軍団、第18戦車軍団を最前線に配置、第5機械化軍団と損害を被っていた第2戦車軍団は予備とした。 7月11日午後、第18戦車軍団が144輌の戦車を配置し第29戦車軍団は212輌の戦車、自走砲を配置した。この日投入された部隊を加えてソビエト軍戦車の総数は、およそ500輌に達した。また、第1戦車軍がドイツ第XLVIII装甲軍団に攻撃をしたが、これはプロホロフカの戦車戦には直接関連していない。 結局、この戦いでドイツ軍は最小で294両、最大で429両、ソビエト赤軍は最小で616両、最大で870両が参加したとされる。
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ソビエト赤軍
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「ヴィスワ=オーデル攻勢」の記事における「ソビエト赤軍」の解説
ソビエト赤軍の2個軍が直接関係しており、第1白ロシア戦線(司令官ゲオルギー・ジューコフ)はワルシャワ周辺と南方のマグヌシェフ(英語版)橋頭堡、プワヴィ橋頭堡を確保していた。一方、第1ウクライナ戦線(司令官イワン・コーネフ)はサンドミエシュ橋頭堡を確保していた。 作戦のためにジューコフとコーネフで合計で163師団を抱えていた。 将兵2,203,000名 戦車4,529両 突撃砲2,513両 火砲13,763門(76㎜かそれ以上の口径) 迫撃砲14,812門 対戦車砲4,936門 カチューシャ2,198門 航空機5,000機
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