ソビエト赤軍の反撃作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 17:04 UTC 版)
「プロホロフカの戦い」の記事における「ソビエト赤軍の反撃作戦」の解説
クルスクの戦いは7月11、12日に最高潮を迎えた。ドイツ第2SS軍団の進撃はプロホロフカの駅に到達する可能性があり、ソビエト赤軍第1戦車軍を包囲する可能性が発生、プロホロフカの駅がヴォロネジ方面軍の重要防衛地点となった。 7月11日、ジューコフはステップ方面軍を含む5個軍へ7月12日に反撃を行うよう命令した。第1戦車軍(司令官ミハイル・カチューコフ)を含むソビエト赤軍はドイツ軍を阻止、そして先頭のドイツ軍を撃破した。その他の3個軍が第XLVIII装甲軍団、第LII軍団を攻撃する間、第5親衛戦車軍はSS軍団を攻撃していた。しかし、第5親衛戦車軍の攻撃には多数の問題が発生していた。 最初に砲兵が随伴しておらず、主力戦車が軽戦車であったため装甲と打撃力の不足が存在したが、これに速度で対応しようとした。また、自らが防衛用に設置した対戦車壕へ侵入しなければならなかった。次に、ソビエト空軍は突出部の南側のドイツ軍最進出部へ集中したため、プロホロフカ上空はドイツ空軍が支配した。最後に、戦闘が開始されてすぐに、ドイツ空軍の攻撃によりソビエト赤軍の空軍と陸軍の連携システムが失われてしまっていた。
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