ポメラニア戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 15:26 UTC 版)
「ハンス=イェスタ・ペーアソン」の記事における「ポメラニア戦線」の解説
1945年1月、第ⅢゲルマンSS装甲軍団に所属する第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」は、休養・補充・再編制のためにクールラントからポメラニアのシュテッティンまで海路後退し、2月に前線に復帰した。この時期のポメラニア戦線ではヨーロッパ各地から集まった多数の武装親衛隊外国人義勇兵、すなわちデンマーク人、スウェーデン人、ノルウェー人、オランダ人、フラマン人、ワロン人、フランス人、ラトビア人、スイス人がソビエト赤軍と死闘を繰り広げており、ペーアソンは2月に白兵戦章銀章(Nahkampfspange in Silber)を受章した。 3月8日、シュテッティン・アルトダム(Altdamm, 現ドンビエDąbie)での戦闘の際、ペーアソンは指揮壕に命中した敵の砲弾によって負傷した。ペーアソンはフランツ・ベレズニャークSS伍長の装甲車によって一時後送され、後に戦傷章銀章(Verwundetenabzeichen in Silber)を受章した。
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