1945年2月下旬~3月 ポメラニア戦線
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「ヴィルヘルム・ヴェーバー (親衛隊隊員)」の記事における「1945年2月下旬~3月 ポメラニア戦線」の解説
1945年2月下旬、ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉の名誉中隊は第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」の師団司令部直属エリート歩兵中隊として東部戦線のポメラニアへ出陣した。この時の「シャルルマーニュ」師団司令部所属部隊は次の通り。 第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」司令部所属部隊(Unités divisionnaires / 33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne“):1945年2月下旬 ポメラニア戦線 師団司令部中隊 アンリ・シュレル武装上級曹長(W-Hscha. Henri Surrel) 名誉中隊 ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉(SS-Ostuf. Wilhelm Weber) 通信中隊 ジャン・デュピュオ武装中尉(W-Ostuf. Jean Dupuyau) 工兵中隊 ロジェ・オーディベール武装中尉(W-Ostuf. Roger Audibert)副官 ジャン・メルエ武装少尉(W-Ustuf. Jean Mailhé) 衛生中隊 ピエール・ボンフォアSS義勇大尉(SS-Frw. Hstuf. Pierre Bonnefoy) 獣医中隊 リシテル武装少尉(W-Ustuf. Richter) 繋駕中隊 アンリ・モーデュイSS義勇中尉(SS-Frw. Ostuf. Henri Maudhuit)(諸事情によりポメラニア戦線不参加) 作業中隊 ド・モロージュ武装中尉(W-Ostuf. de Moroges) 自動車中隊(Fahrschwadron A) ジャン・シリスレ武装大尉(W-Hstuf. Jean Schlisler)副官 ジャン=ロク・ダリガード武装中尉(W-Ostuf. Jean-Roch Darrigade) 馬車中隊(Fahrschwadron B) ジャン・クロアジルSS義勇大尉(SS-Frw. Hstuf. Jean Croisile)副官 モーリス・ユアン武装中尉(W-Ostuf. Maurice Huan) 戦場に到着したフランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将は「シャルルマーニュ」師団司令部をエルゼナウ(Elsenau、現オルシャノボ(Olszanowo))に設置し、師団の各部隊は順次行動を開始した。 1945年2月25日朝、ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉の名誉中隊はハマーシュタイン(Hammerstein、現ツァルネ(Czarne))でパンツァーファウストを多数支給された後、師団司令部が設置されているエルゼナウへの行軍を開始した。 その途中、名誉中隊はソビエト赤軍から逃げる難民の集団や武装親衛隊ラトビア人義勇兵(第15SS所属武装擲弾兵師団(ラトビア第1)の将兵)とすれ違い、間もなく「シャルルマーニュ」師団第57SS所属武装擲弾兵連隊の負傷兵の一団を目撃した。負傷兵全員の包帯は血まみれで、そのうち何名かは手足がもぎ取られており、彼らの目は恐怖で大きく開かれていた。 これらのような戦闘の悲惨な実態は多くの兵士の戦意を萎えさせたが、高い士気を持つ名誉中隊の将兵には影響しなかった。ヴェーバーは部下に対し「鉄十字章か木の十字架のどちらか1つを選べ」と繰り返し言い聞かせた。名誉中隊の全員がそのうちの1つ、戦死後に与えられる墓標ではなく生きて勝ち取る武勲の証(鉄十字章)を欲していた。
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