1945年2月以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 09:13 UTC 版)
「倉橋 (海防艦)」の記事における「1945年2月以降」の解説
1945年(昭和20年)2月3日、タモ40船団を護衛し基隆発。2月5日、第一海防隊に編入。6日から7日にかけて泗礁山で仮泊。12日、損害を受けることなく全艦船が六連に到着。倉橋は佐世保へ回航し、13日から3月5日にかけて佐世保海軍工廠で入渠し修理。 3月5日、ヒ88F船団と合同のため佐世保発。伏瀬灯台-彦島を経由し、7日に対馬北端で同船団と合同。8日、六連着。14日、モタ42船団(2隻)を護衛し六連発。途中、大長金山南方と大北列島を経由し、27日基隆着。31日、タモ52船団(2隻)を護衛し基隆発。内地到着後は朝鮮半島南岸で船団護衛に従事。 終戦時は元山に所在。8月15日、大湊へ回航。25日、横須賀鎮守府第一予備海防艦に定められる。9月15日から室蘭沖で掃海に従事。11月30日、海軍省の廃止に伴い、帝国海防艦籍から除かれた。
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