1945年3月 「シャルルマーニュ」師団壊滅・再編成
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「フランスSS突撃大隊」の記事における「1945年3月 「シャルルマーニュ」師団壊滅・再編成」の解説
独ソ戦末期の1945年3月初旬から中旬の間、武装親衛隊の第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」はポメラニア戦線で圧倒的多数のソビエト赤軍と交戦し、師団の主要な将校(初代師団長、師団参謀長、連隊長2名、大隊長多数、その他)を含む約5,000名の将兵を失って壊滅した。 ポメラニアで散り散りになった「シャルルマーニュ」師団の生存者は個人もしくはグループで行動し、それぞれ陸路や海路でドイツ本土への撤退を試みた。これらの生存者の中で最大のグループは、フランスSS部隊総監兼2代目師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将と歴戦のフランス人将校アンリ・フネSS義勇中尉に率いられていた行進連隊第Ⅰ大隊(Ier Bataillon / Régiment de Marche)であった。この行進連隊第Ⅰ大隊(将兵約800名)は3月中旬にバルト海沿岸部の都市ディフェノ(Dievenow、現ジブヌフ(Dziwnów))経由でドイツ北部へ撤退することに成功した。 1945年3月24日、先のポメラニア戦線で大損害を被った「シャルルマーニュ」師団の生存者はノイシュトレーリッツ(Neustrelitz)に移動し、師団司令部をカルピン(Carpin:ベルリンから約90キロメートル北に位置する町村)に設置。1個連隊規模に減少した「シャルルマーニュ」師団の将兵はカルピン周辺に駐屯し、訓練や対戦車障害物建設工事に従事して時を過ごした。
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