1945年3月-8月 千島列島
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「第十五号駆潜艇」の記事における「1945年3月-8月 千島列島」の解説
1945年3月2日、10日、18日、22日にそれぞれ試運転を実施し、試運転後は大湊で整備を行う。27日、軍隊区分大警直卒部隊に一時配置され、大湊-天寧間の兵員輸送に従事。 4月4日-6日、天寧発-哨戒-釧路着。8日、軍隊区分大警直卒部隊から除かれ、軍隊区分津軽防備部隊に復帰。8日-10日、釧路発-哨戒-大湊着。12日-13日、大湊発-回航-室蘭着。16日、軍隊区分津軽防備部隊から除かれ、軍隊区分厚岸防備部隊に配置。16日-18日、室蘭発-船団護衛、厚岸へ回航-釧路へ回航-釧路着。18日-20日、釧路発-キ902船団護衛、第二高屋丸捜索-年萌仮泊。23日-24日、天寧発-復航船団護衛-釧路着。27日-28日、釧路発-船団(第六日鮮丸)護衛-天寧着。 5月2日-5日、釧路発-釧路沖対潜掃蕩-釧路着。10日-16日、釧路発-船団護衛、温禰古丹島黒岩湾-根室へ回航-釧路着。19日-23日、釧路発-船団護衛-根室および網走に寄港-稚内着。23日から6月中旬まで、千島列島沖で操業する日魯漁業の独航漁船約30隻の護衛に従事。 6月17日、軍隊区分厚岸防備部隊から除かれ、軍隊区分宗谷防備部隊に配置。18日、船団(2隻)を護衛して幌筵島片岡湾発。同日、船団は幌筵島西方沖でアメリカ潜水艦の攻撃を受け、全滅した。本艇は博愛丸の遭難者192名を救助し、19日に片岡湾に帰投した。
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