1945年4月 「シャルルマーニュ」師団(連隊)長就任
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「ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)」の記事における「1945年4月 「シャルルマーニュ」師団(連隊)長就任」の解説
1945年3月中旬、大損害を被ってポメラニア戦線から撤退した「シャルルマーニュ」師団の生存者はドイツ北部地域に順次集まり、1個連隊(SS所属武装擲弾兵連隊「シャルルマーニュ」)として再編成に着手した。この時、ヴァルター・ツィンマーマンSS大佐はポメラニア戦線で足に負った傷を治療するため、アンクラム(Anklam)の病院に入院した。 4月中旬、グスタフ・クルケンベルクSS少将はツィンマーマンを「シャルルマーニュ」師団(連隊)の指揮官に据えた(初代師団長エドガー・ピュオ武装上級大佐が1945年3月5日にポメラニア戦線で行方不明となってからは、クルケンベルクSS少将が「シャルルマーニュ」の2代目師団長を務めていた)。その後、ソビエト赤軍に包囲されているドイツ国(ナチス・ドイツ)首都ベルリン(Berlin)から連絡(出撃命令)を受けたクルケンベルクSS少将は、「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵から成るフランスSS突撃大隊を引き連れてベルリンへ出発した。 こうして、3代目師団長としてツィンマーマンSS大佐はドイツ北部に残留している「シャルルマーニュ」師団(連隊)(約700名)の指揮を委ねられたが、戦傷治療のため入院中のツィンマーマンが「シャルルマーニュ」の指揮を執ることは出来ず、師団(連隊)の実務は副官のジャン・ブデ=グージ武装少佐(W-Stubaf. Jean Boudet-Gheusi)が担当し、結局ツィンマーマンは入院したまま1945年5月の終戦を迎えた。
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