南樺太および千島の概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 13:56 UTC 版)
「ソ連対日参戦」の記事における「南樺太および千島の概況」の解説
当時日本が領有していた南樺太・千島列島は、アメリカ軍の西部アリューシャン列島への反攻激化ゆえ急速強化が進んだ。1940年12月以来同地区を含めた北部軍管区を管轄してきた北部軍を、1943年2月5日には北方軍として改編、翌年には第五方面軍を編成し、千島方面防衛にあたる第27軍を新設、第1飛行師団と共にその隷下においた。結果、1944年秋には千島に5個師団、樺太に1個旅団を擁するに至る。 しかし、本土決戦に向けて戦力の抽出が始まると航空戦力を中心に兵力が転用され、1945年3月27日に編成を完了した第88師団(樺太)や第89師団(南千島)が加わったものの、航空兵力は貧弱なままで、北海道内とあわせ80機程度にとどまっていた。 他方、ソ連軍は同方面を支作戦と位置づけており、その行動は偵察行動にとどまっていた。1945年8月10日22時、第2極東戦線第16軍は「8月11日10:00を期して樺太国境を越境し、北太平洋艦隊と連携して8月25日までに南樺太を占領せよ」との命令を受領、ようやく戦端を開く。しかし、準備時間が限定されており、かつ日本軍の情報が不足していたこともあり、各兵科部隊には具体的な任務を示すには至らなかった。情報不足は深刻で、例えば、樺太の日本軍は戦車を保有しなかったにもかかわらず、第79狙撃師団に対戦車予備が新設されたほどであった。北千島においてはさらに遅れ、8月15日にようやく作戦準備及び実施を内示、8月25日までに北千島の占守島、幌筵島、温禰古丹島を占領するように命じた。
※この「南樺太および千島の概況」の解説は、「ソ連対日参戦」の解説の一部です。
「南樺太および千島の概況」を含む「ソ連対日参戦」の記事については、「ソ連対日参戦」の概要を参照ください。
- 南樺太および千島の概況のページへのリンク