南極領土問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 10:02 UTC 版)
19世紀初頭には南氷洋でのクジラ、アザラシ、ペンギンの狩猟が盛んになり、独立したばかりのチリ政府もサウス・シェトランド諸島などへの狩猟航海を支援し、漁業・捕鯨などの会社がチリでも誕生している。一方1820年には欧米諸国が相次ぎ南極大陸を発見し、サウス・シェトランド諸島は19世紀から20世紀初頭にかけて各国の南極探検の基地となった。チリ政府は1906年頃から南極大陸での領有権確立に向けて隣国アルゼンチンと交渉を始めたが、条約などは成立しなかった 。イギリスは1908年に南緯50度以南、西経20度から80度の南極半島を含む地域の領有を宣言するなど南極の領有権は徐々に衝突し始めた。 1939年1月14日にノルウェーが0度から西経20度までの地域(ドロンニング・モード・ランドの一部)の領有を宣言し、これに対し同地域の探検を盛んに行って領有を模索していたナチス・ドイツも1939年1月19日に東経20度から西経10度をノイシュヴァーベンラント(ドイツ語: Neuschwabenland, 英語: German New Swabia、ドイツ領ニュー・スウェイビア)と名付け領有を宣言した。こうした、ノルウェーやドイツの主張はチリ政府を刺激した。ペドロ・アギーレ大統領はチリ領南極の範囲の確定へ向けての活動を始め、9月7日に南極権益の特別委員会を設立した。委員会は歴史・国際法・地質学・外交慣例の調査を開始し、1940年11月6日の布告1747号でチリ領南極の範囲を宣言した。チリの範囲主張の根拠の一つは大航海時代にスペインとポルトガルの間で地球を分割したトルデシリャス条約であった。一方、サウス・オークニー諸島に対するアルゼンチンの主張を勘案して西経53度より先は断念した。アルゼンチンは1940年11月12日のメモでチリ政府に対して公式に抗議し、チリ政府の南極領有布告の拒絶と、同じ範囲に対する領有権の主張の可能性を主張した 。イギリスも1941年2月25日に反対の意を表した。 1942年1月にはアルゼンチンが西経25度から西経68度24分までの南極の領有権を主張し、1946年9月2日には布告8944号でアルゼンチン領南極の範囲を西経25度から西経74度へ拡大した。さらに、1957年2月28日の布告2129号で西経25度から74度、南緯60度以南の領有を確定した。これはチリ領南極の範囲と重なる結果になった。チリもこれに対し南極基地を置いて主権の根拠とすることを考え、1947年にグリニッジ島に基地を開設した(現在のカピタン・アルトゥロ・プラット基地 Base Naval Capitán Arturo Prat)。翌1948年には南極半島にヘネラル・ベルナルド・オイギンス基地(Base General Bernardo O'Higgins)が完成し、ガブリエル・ゴンサレス・ビデラ大統領が訪問して、一国の元首として初めて南極の地を踏んだ。 1948年3月4日、対立していたチリとアルゼンチンは相互協定を結び、25度から90度の間にある互いの南極領土を法的に他国から守ることにした。1953年には国連でインド代表が南極の国際化を訴え、南極に領有権の歴史を持たない諸国が賛成を始めた。当初、チリのインド大使はネルー首相に対してこの考えを取り下げるよう説得している。1955年5月4日にはイギリス政府がアルゼンチンとチリに対して、国際司法裁判所へ訴える前段階としてそれぞれの国の法廷で南極領有権主張の無効を訴えて裁判を起こしたが、両国で却下されている 。 1958年、アメリカ合衆国のドワイト・アイゼンハワー大統領は南極問題解決のために国際地球観測年の会議へとチリを招いた。1959年12月1日、チリもついに南極条約に調印を行った。こうして南極領土問題は凍結へと向かっている。 1977年、チリのアウグスト・ピノチェト大統領は南極を訪問して領有権を主張した。これに1978年にアルゼンチンは南極に妊婦をおくりこんで「南極生まれの子供」を出産させることで報復した。対抗してチリも妊婦を南極におくりこんで1984年に出産させたファン・パブロ・カマチョ(Juan Pablo Camacho)を「真の南極生まれの子供」であると主張した。 2003年には、チリとアルゼンチン両国は、チリのオイギンス基地とアルゼンチンのエスペランサ基地の中間地点にアブラソ・デ・マイプー(Abrazo de Maipú)という名の共同シェルターを建設した。アブラソ・デ・マイプー(マイプーの抱擁)とは、アイルランド系チリ人の将軍ベルナルド・オイギンスとアルゼンチン人将軍ホセ・デ・サン=マルティンがマイプーの戦いで共同してスペイン軍を破り、チリ独立を確かなものにした出来事を指す。
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