主張の根拠とは? わかりやすく解説

主張の根拠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:07 UTC 版)

百人斬り競争」の記事における「主張の根拠」の解説

本多勝一らは、「百人斬り競争」の事実次のような各種資料裏付けられている、と主張した当時新聞等の資料東京日日新聞記事東京日日新聞記事以外にも、次のような報道がされている。野田少尉中村硯郎あての手紙が紹介されている。その中で、「百人斬り競争なんてスポーツ的なことが出来た」こと、南京入城までに「105斬った」がその後253叩き斬った」として「百人斬り競争」の事実自認している。 野田少尉帰国した際の記事では「374人を斬った」として野田少尉が「百人斬り競争」について詳細に語っている。 向井少尉は、「今度千人切りである」「野田少尉別れてから約束五百人斬りを果たすため、一生懸命やっている」「今まで305人斬りました」と述べている。 野田少尉の父、野田伊勢熊は昭和42年6月段階野田少尉が「南京入城前に百人斬り競争を同連隊向井少尉となし」たことを認めている。 野田少尉と同じ中隊所属していた望月五三郎は手記『私の支那事変私家版)』(P42-45)に、野田少尉非武装一般農民を斬ったこと、支那人を見つければ向井少尉奪い合いをするほどエスカレートしたこと、を記している。 志々目彰は、「中国1971年12月号に投稿した論稿の中で、野田少尉講演内容を「郷土出身勇士とか、百人斬り競争勇士とか新聞書いているのは私のことだ。実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない占領した敵の塹壕むかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて、片っぱしから斬る百人斬り評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ。」と紹介している。そして、志々目彰の同級生であった辛島勝一は志々目にあてた手紙中に野田捕虜を斬った話をしていた旨を記している。 2少尉作成した遺書中でも、2少尉が「百人斬り競争」について話したことにより新聞記事になった、と認めている 浅海鈴木記者及び佐藤振壽カメラマン論稿では、記者二人少尉から聞いた話を記事にした、と一致して述べられている。 南京攻略においては捕虜や一民衆対す殺害はごくありふれた現象だったことを示す資料多数存在している。 以上に示した資料は、野田らが農民等を殺害した現場目撃した資料野田少尉が「百人斬り競争」をなし、捕虜殺害した離した資料、両少尉取材記者に対して自ら「百人斬り競争」について語っていた資料であり、更にはこれらの資料裏付ける資料存在などお互い資料支えあい、補い合って百人斬り競争」の事実捕虜殺害事実明らかにしているのである

※この「主張の根拠」の解説は、「百人斬り競争」の解説の一部です。
「主張の根拠」を含む「百人斬り競争」の記事については、「百人斬り競争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「主張の根拠」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「主張の根拠」の関連用語

主張の根拠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



主張の根拠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの百人斬り競争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS