主張の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:00 UTC 版)
訪韓直前の朝日新聞報道への関与 吉見が慰安婦問題で脚光を浴びたのは、防衛庁防衛研究所図書館で閲覧した慰安婦に関する資料をコピーして朝日新聞記者の辰濃哲郎に渡したことにはじまる。朝日新聞は1992年1月11日の朝刊1面で「慰安所への軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」と吉見の資料による記事を掲載し、吉見も「軍の慰安所が設けられたのは、上海戦から南京戦にかけて強姦事件が相次いだためといわれ、38年の通牒類は、これと時期的に符合する。当時、軍の部隊や支隊単位で慰安婦がどれだけいたかもわかる資料で、軍が関与していたことは明々白々。元慰安婦が証言をしている現段階で『関与』を否定するのは、恥ずべきだろう。日韓協定で、補償の請求権はなくなったというが、国家対国家の補償と個人対国家の補償は違う。慰安婦に対しては、謝罪はもとより補償をすべきだと思う」と述べている。 宮沢喜一首相(当時)の訪韓直前というタイミングで掲載されたこの記事は、一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じており、また、吉見が資料を「発見」したと報道されたが、研究者の間ではこの資料は既に周知のものであった。朝日はこの資料について吉見の解釈のみを載せ、吉見は紙面上で「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」とコメントした。この記事の説明や同日の社説には「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は8万とも20万ともいわれる」との報道もなされた。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮沢首相には「前向きの姿勢を望みたい」と報じ、1月13日、加藤紘一官房長官(当時)が「お詫びと反省」の談話を発表、1月14日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べるに至った。 主張への批判 吉見が「発見した」と報じられたこの資料は「陸支密大日記」に閉じ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛)というもので、内容は「内地においてこれの従業婦等を募集するに当り、ことさらに軍部諒解などの名儀を利用しために軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれある」から「憲兵および警察当局との連繋を密にし軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく」というものであった。これについて吉見は「軍の関与は明白」と主張した。 これに対して、この資料が示す「関与」とは、朝日新聞が報道するような「関与」とは全く意味合いが違うものであったとする批判がでた。西岡力や小林よしのり、高橋史朗などからは、「悪質な業者が不統制に募集し「強制連行」しないよう軍が関与していたことを示しているもので「善意の関与」である」との批判や吉見とは別解釈が出た。 これらの批判に対して吉見は、(1)通達の主旨は派遣軍が業者を管理すべしというものであり取り締まりの励行ではない、(2)朝鮮や台湾でこのような書類が見つかっていない事を、小林よしのりらは知らず、朝鮮や台湾でもこの通達が出ていると考えているから、そうした考え方をするのだ、と主張している。 朝日新聞での慰安婦報道以降 上記の1992年1月11日の朝日新聞での報道以降から元慰安婦による訴訟、日韓間で政治問題化、教科書問題など慰安婦問題が日韓で大きく取り上げられる事となった。吉見はこれらの動きに応じてその後も慰安婦関係の研究を続け、著作・発言を行っており、現在は、西野瑠美子や林博史らと共同で戦争と女性の人権博物館の呼びかけ人 や日本軍慰安婦問題の立法解決を求める緊急120万人署名』の賛同人などを務めている。 2019年公開の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画『主戦場』に出演した。
※この「主張の背景」の解説は、「吉見義明」の解説の一部です。
「主張の背景」を含む「吉見義明」の記事については、「吉見義明」の概要を参照ください。
- 主張の背景のページへのリンク