主張の骨子と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
従来、八束の主張は多数派工作のためのプロパガンダに過ぎず、学理的には全くの的外れとされ、不評であった。特に、仏民法・旧民法はいずれも強力な家父長制を基盤としていたにもかかわらず八束が批判したと解すると、「民法出でて忠孝亡ぶ」は、進歩的法典に対する保守派の反発ではなく、保守的な仏民法(松本)、または保守的な旧民法に対する誤解ということになる(中村、大久保泰甫)。 しかし、前後に発表された一連の論文からは、彼なりの西洋文明摂取の態度が認められる。 未来の民法をして少しく国家的ならしめよ。…民法は社会財産の分配法なり。…近代の民法は基本位を個人に取り…社会の富は社会の成果たることを忘れたるが如し。…個人本位の民法は富者をして益々富み貧者をして益々貧ならしむるの成績ある事は証し得て明かなり。社会の優族をして民法制定せしむ勢の然らしむる所怪むに足らず。若し社会の劣族をして民法の制定に干渉せしめば或は其本位を国家的ならしめんか、欧州19世紀末日の労力社会の立法運動は民法家諸家の注意を惹くべきもの多し。 — 穂積八束「国家的民法」『法学新報』1号、1891年(明治24年)4月 そこで、単なる保守的イデオロギーに尽きるものではなく、古典的自由主義の限界を見据えた上での、財産法にも一体となって及ぶ弱者保護の論だとして、ギールケらの論争との共通性を再評価する動きがある。 個人的私権の完全なる保護は経済の発達を促し福利の増進したる大なるに拘はらず其の増進した富は富人の富にして社会の富にあらず、文明の中心たる欧州は貧民の苦境たり彼輩の祖先の社会は其の資産多からざるも其分配は稍当を得たりしなり、何となれば日耳曼(ゲルマン)法系の精神は公私の関係に於て公同体を其の本位となしたればなり…政治経済に於ける国家社会主義と法理に於ける『ゲルマニステン』と相提携して鋭鋒を羅馬法派(ローマニステン)の中堅に向くるときは其の変動如何あるべきを追想すれば慄然として個人本位の厳正に失する羅馬法理の為に畏懼せざるを得ざるなり。 — 穂積八束「新法典及ヒ社会ノ権利」1896年(明治29年) 法の本位は絶対的に個人に非ず又絶対的に社会に非ず、個人の生存と社会の生存との抵触軋轢を排除することを法の社会的効用なりと認むる者なり…極端に個人若くは社会を絶対の生存目的と為すは各々自己の生命を絶ふものなり。 — 穂積八束「法ノ社会的効用」1895年(明治28年) 穂積博士の国家主義は従って…近代的個人主義・自由主義を前提とし、そのもたらす歪みを修正するものである。穂積博士が排撃するのは"極端なる自由主義""極端なる個人主義"であって、必ずしも自由・個人そのものではない。…例えば、"自由競争は進歩の母"とされ、"所有権の制度の如きは実に社会的自由競争を活発ならしむる誘因として特に社会組織の基礎を為すなり"とされ…時に"社会党"に対する理解すら示される。 …結局、国民の"福利"にこそ、明確にその根拠が求められていることが、看過されてはならない。…提起された真の問題は、いわば"自由"か"経済的福祉"かの選択であったことは、殊に注目に値する。 …博士の問うた問題に対し、論者は果たして如何なる意味での"自由"の至高性を説くものであろうか。 — 藤田宙靖、初出1972年(昭和47年) このような考え方に対しては、八束がメンガーを読んでいた(福島)かどうかは重要でなく、政権批判の論法に過ぎなかったとの批判がある(熊谷開作)。 それ以外にも民法典論争に前後して複数の論文が発表されているが、詳細な倫理規定により道徳を強制すべきというのではなく、本来親族法は公法であり、民法典で詳細に規定すべきでないという立場が論争終結後の論文で明確にされている。 民法の範囲を社会経済交通に限り民俗礼法に干渉せざる是大に可なり。 — 穂積八束「民法ノ本位」1893年(明治26年) 独民法第二草案起草委員に就任して破棄されたゾームの旧説に依ったものだが、ボアソナードも、親族法は本来公法との立場であった。 要するに、八束の主張は、 家族法では、法律で道徳を強制せず、法律以前のものとせよ 財産法では、個人主義徹底の弊を避け団体主義法理を容れよ アナキズムの萌芽は許さない というもので、表現の古めかしさの割には合理的理論的とみることができる(井ヶ田良治)。
※この「主張の骨子と評価」の解説は、「民法典論争」の解説の一部です。
「主張の骨子と評価」を含む「民法典論争」の記事については、「民法典論争」の概要を参照ください。
- 主張の骨子と評価のページへのリンク