民法出でて忠孝亡ぶ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
「民法出でて忠孝亡ぶ」の煽情的言辞で世に知られるのが、公法学者の穂積八束である(滅ぶは誤字)。 批判の対象は原案ではなく、公布後の旧民法(明治23年法律第28・98号)。 我国は祖先教の国なり家制の郷なり、権力と法とは家に生まれたり…氏族と云ひ国家と云ふも家制を推拡したるものに過ぎず。…要するに我固有の国俗法度は耶蘇教以前の欧羅巴と酷相似たり。然るに我法制家は専ら標準を耶蘇教以後に発達したる欧州の法理に採り殆んど我の耶蘇教国にあらざることを忘れたるに似たるは怪しむべし。 — 穂積八束「民法出テゝ忠孝亡フ」『法学新報』5号、1891年(明治24年)8月 古代ギリシャ・ローマが祖先教および家父長制度を基盤とする社会であり、それが祖先崇拝を偶像として排斥するキリスト教によって破壊されたとの八束の主張は、フランス人歴史学者フュステル・ド・クーランジュ『古代都市』の記述を根拠とする。
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