民法仮法則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
江藤は皇国民法仮規則にも満足せず、民法編纂会議を明法寮から司法省本省へ移管。1873年(明治6年)1月、江藤が司法卿を辞任。 3月、戸籍法に代わるべく、ブスケも参与して『民法仮法則』が完成。翻訳業務を終えた箕作も通訳として合流。 同月、壬申戸籍が完成。戸主が家族の身分変動を届け出るとされた。 最終的には主催者を失って自然消滅したとも(星野)、参議に転身した江藤が法典起草権を取り上げたことにより、司法省の法典編纂事業は頓挫したともみられている。
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