民法典論争後日談とは? わかりやすく解説

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民法典論争後日談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)

民法典論争」の記事における「民法典論争後日談」の解説

時は遡って1888年明治21年7月ボアソナード自宅訪問した井上毅は、両足水色水腫ができていながら山田法相との約束守り注釈書執筆集中している姿を目撃した。 余はおどろき覚束なく思ひて、急ぎ山田司法大臣の邸に至り此由を告げゝるに、司法大臣も共に驚かれ、即ち秘書官塚[省吾]君を遣り、君を訪問せしめて、速かに転地療養あらむことを勧められけり。君は約束当事者の命を受けて始めて心おきなく田舎に転養せられたり。余は此時家に帰りて窃(ひそか)に嘆息して云へらく、凡そ司ある人々にして、斯くまで深き義務心に伴へる勉強を以て勤しみたらむには、立法事業並に諸般の事の挙らざることやあるべきと。此事、一小件なれども、余は将来ボアソナード君の名誉ある史伝中の一段と称すべき価値あると信ずるが為に別れ臨みてこれを公衆前に述ぶ。 — 井上毅 1895年明治28年3月かつてはとともに帰化検討した報道され外国人として初め勲一等瑞宝章決定していたボアソナードだったが、朝野熱烈な見送りを受け日本去った。この時井上死の床ありながらボアソナード君の帰国を送る詞」を書き身命削って任務邁進した彼を称賛し直後死去した1934年昭和9年)、杉山直治郎らを中心にパリ大学構内ボアソナード胸像贈呈される1968年五月危機以後大量撤去されたほかの胸像異なり、それは今なお健在である。

※この「民法典論争後日談」の解説は、「民法典論争」の解説の一部です。
「民法典論争後日談」を含む「民法典論争」の記事については、「民法典論争」の概要を参照ください。

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