主張や信条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 03:22 UTC 版)
信者の信念は、新約聖書の使徒15章19、20、28、29節にある「血を避けるように」との聖書の教義を解釈したものとされる。エホバの証人は、使徒15章21節で使徒ヤコブがモーセの律法に言及していることから、創世記9章4節、レビ記7章26,27節、17章12節で述べられている「血を食べてはならない」という命令と関係すると考えている。聖書では血は生命の象徴として、神聖なものとして扱われている。新約聖書でもイエスの「血」によって信者の罪を清めると述べられている。エホバの証人は、食料を口から食べる事とチューブ食や点滴が同じであり、血を食べる事も輸血も同じく体内に取り入れる事であると解釈して、輸血を拒否する。 近年の医療の進歩により出血の少ない電気メスやウォータージェットメスの利用によって輸血の必要性が少なくなる手術方法が行われるようになった。また、全血輸血に加え血液の分画成分を用いた血液製剤が多く出回り、自己血を回収しながら再使用するセルサルベージなどの手術方法も存在する事から、どれをどの程度使用できるか各自の良心によって決定できるといったことが、ものみの塔聖書冊子協会発行の雑誌「ものみの塔」などで多く論じられている。自己血輸血という手段に関しては、前述のセルサルベージなどの術中回収式や術中希釈式自己血輸血は、血液透析と同様に閉鎖回路での循環が保たれるのであれば受け入れる人もいるなど、医療処置の進歩と多様化によって、個人の良心による選択と判断が行える場面も増えている。 1985年の事件のように、子供に対する輸血を、信者である親が拒否する場合には、子供の人権が問題となるが、この点エホバの証人は、輸血拒否について、子ども自身も意思表明していると回答している[要出典]。また、エホバの証人は、保護者による子供の輸血拒否は、親権(特に監護権)の範囲内で認められると主張している[要出典]。 また、エホバの証人は、輸血の危険性や輸血の代替手段について強く訴えている。実際、命が危険にさらされない限りはできるだけ無輸血治療を行い患者の信仰に協力的な医師や病院も存在する。さらに、輸血拒否することによって、感染症やC型肝炎等の病気を避けることが出来るという。ただし、出血を少なくするという意味での無輸血治療はどの患者にも望ましいものであるが、大量の出血が避けられない、あるいは既に大量の出血が起こっている場合、俗にいう、代替血液とは、あくまでも血液と混ぜても特に害がなく、血圧を一定の高さに維持するという役割を果たすだけであり、血液の生理的効果を代替するものではない。よって、出血多量の場合には輸血以外には患者の命を救う手段はない(この事実を明確に信者に伝えていないという批判も存在する)。 複雑多岐に渡る治療法について、医療に関しては素人である一般信者が自らの治療法について理解し、かつ専門職である医師に対して自己の立場を主張するのは難しい。このため、ものみの塔協会はこの問題における信者のアドバイザー、医療関係者との架け橋として90年代半ばよりHIS(Hospital Information Service=ホスピタル・インフォメーション・サービス)やHLC(Hospital Liaison Committee=医療機関連絡委員会)を設けているが、基本的に患者に輸血以外の手段の存在を知らす行為に終始しており、患者の命を最優先にしているわけではない。
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